環境科学国際センター > 試験研究の取組 > 刊行物 > 埼玉新聞連載記事「持続可能な社会目指して」その8
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掲載日:2023年1月13日
奥秩父の亜高山帯では、樹木が立ったまま集団で枯れている現象(以降、「立ち枯れ現象」と記す。)があることが以前から知られていた(写真1)。枯れている樹木の多くはシラビソで、何十本という単位で立ったまま枯れている。その様子を一見すると驚異を覚えるほどだ。
環境科学国際センターでは、この「立ち枯れ現象」の原因を探るべく、10年ほど前から、奥秩父の雁坂峠付近まで、片道約4時間の行程を足繁く通い、環境の諸要因を調査してきた。その結果、この現象は、酸性雨やオゾンといった汚染物質によるものではなく、立地条件や気象条件がもたらす局地的な乾燥ストレスが引き起こしている可能性が浮上してきた。すなわち、自然の中で生じる一現象として、この「立ち枯れ現象」があると推測されたのだ。
一方、雁坂峠付近の環境調査を実施するなかで、近年、予想もしなかった変化が起こり始めた。それは、その尾根筋を中心に、シカが健全なシラビソの樹皮を剥いで食べてしまうという、いわゆる「食害」が頻発したのだ(写真2)。シラビソは、シカの食害により、幹に沿って一周樹皮を剥がされてしまうと、2年もすると立ち枯れてしまう。最近では、このようなシカの食害による立ち枯れが急激に増加しているのだ。
これには、奥秩父の奥山で暮らすシカの個体数が極端に増加したこととの関係が指摘されている。シカによる食害はシラビソだけではない。森林の下草にも影響が出始めている。本来シカの主食は、樹木の樹皮ではなく、イネ科の草本を中心とした様々な植物の葉である。個体数が増加したシカは、奥秩父の森林の下草も食べ尽くしつつあり、一部ではシカが嫌うハシリドコロやトリカブトなどの有毒植物だけが繁茂する場所も現れ始めている。
そもそもシカは平地を主な生活の場とする生物だ。もともと奥山で暮らすカモシカとは異なり、急峻な地形や深い雪は苦手としている。奥秩父のような奥山でシカが暮らしていること自体、不自然な現象ともいえる。ではなぜシカが奥山で暮らすようになったのであろうか。現在のところ、明確な答えは見あたらない。
しかし、造林のための皆伐によりシカの餌場となる草原が一時的に増えたこと、奥山の多くが国立公園や鳥獣保護区など禁猟区に指定されていること、降雪量が減少していることなどが、シカを山に登らせたのではないかと推測されている。
本来シカも保護されるべき野生生物だ。しかし、極端に個体数が増加すると、他の野生生物に様々な悪影響を及ぼす。埼玉県の亜高山帯植生の代表であるシラビソ群落は、今やシカによる食害で崩壊の危機にある。また、希少な高山植物の絶滅も心配される。さらに、ふもとでは、シカによる林業や農業などの被害も深刻な事態となっている。
埼玉県では、2006年に「埼玉県特定鳥獣保護管理計画(ニホンジカ)」を策定し、個体数の調整やモニタリングの実施など本格的な保護管理に取り組み始めた。かつて、シカはオオカミなどの天敵により捕食され、個体数が極端に増加することはなかった。オオカミが絶滅してしまった現在、個体数のバランスを維持する役割を担えるのは、もはや人間しかいないのだ。
写真1 樹木の立ち枯れ
写真2 シカによる食害
埼玉県環境科学国際センター 自然環境担当 嶋田知英・三輪誠
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