トップページ > 県政情報・統計 > 県概要 > 組織案内 > 企画財政部 > 企画財政部の地域機関 > 北部地域振興センター本庄事務所 > 第8回本庄まちゼミに参加してきました
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掲載日:2024年10月7日
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まちゼミとは「得する街のゼミナール」の略称でお店の方などが講師となり、プロならではの知識や情報、コツを教えてくれる少人数のミニ講座です。
今年で第8回目となります。今回は、次の2つの講座に参加してきました。
まずは、「本庄の歴史探求ツアー」です。今日の行程は開善寺→田村本陣跡・旧本庄警察署→旧本庄商業銀行煉瓦倉庫→宮本・蔵の街。
初めに市役所から歩いて10分程のところにある開善寺に立ち寄ります。ここは、天正19年(1591)、小笠原信嶺により小笠原家菩提寺として建立されました。大野住職から、小笠原家が戦国時代、御家存続の為、主君を武田系⇒織田家⇒徳川家と変え動乱の時代を生き抜いたこと。そして、大名家として、中山道随一の宿場町となる本庄宿の楚を築いたことなどを伺いました。住職の語りのあと、信嶺公夫妻墓所、信之公(初代本庄藩主)墓所などを見学しました。
住職からの語り(開善寺)
次に訪れたのは田村本陣跡、旧本庄警察署。そして、120年以上前に建てられ、かつて本庄の絹産業と経済を支えた旧本庄商業銀行煉瓦倉庫を見学し、最後は、宮本・蔵の街のNINOKURA(二の蔵)です。ここは三つの蔵のうち、酒問屋小森商店の味噌醤油蔵として使われていた明治22年造の二の蔵を改蔵して平成23年にオープンしました。一階はカフェで、二階の杉板張りの多目的スペースで、お茶菓子をいただきながら、この蔵の街の保存に尽力した一の蔵で建築設計事務所を運営している戸谷正夫さんからお話しを伺いました。市民グループ「本庄まちNET」を組織し、蔵のある街なみを残そうと、蔵と一体的に住宅を整備し保存したことなど、当時の苦労話を交えて貴重なお話しをいただきました。その後、予定にはなかったのですが、戸谷さんのご厚意で建築設計事務所の一の蔵も見学させていただきました。2階は当時、従業員が寝泊まりすることころで、今は、戸谷さんの仕事部屋と座敷になっていますが、立派な木組みや板扉に歴史の積み重ねを感じさせてくれます。
宮本 蔵の街(一の蔵) 蔵2階の木組み(一の蔵)
戸谷さんの語り(NINOKURA2階) いただいたお茶菓子(NINOKURA)
2時間の予定でしたが、最後に一の蔵も見学させていただいて2時間30分の行程となりました。案内してくれた本庄市観光協会の皆様。ありがとうございました。
次に参加したのは、「老舗15代目が語る中山道本庄宿」です。今日の場所は、中山道に今も残る戸谷八商店です。
戸谷八商店店主の戸谷充宏さんの案内のもと、敷地内の昔の井戸や洗面台、樹齢数百年の赤松を見た後、江戸時代に建てられたという「戸谷八前蔵」を見させていただきました。蔵の中には当時の竹で作られた背負子や船で運んだ木箱などが積まれています。どれもが歴史の重みを感じさせてくれます。いったん、屋敷内からでて、戸谷八商店の神社、戸谷八稲荷神社を参拝します。当時の豪商は個人で神社を祭っていたことを知り、当時の隆盛を感じました。また、屋敷内に戻り、家屋とつながっている火事から守るため分厚い扉となっている戸谷八文庫蔵を見て、戸谷さんから戦国時代からの本庄城や本庄宿の歴史を伺いました。
最も印象的だったのは、本庄城の崖下の治水の悪い場所を拠点に「花の木18軒」が結成され、そこから戸谷、内田、森田、諸井、田村などの商人達が活躍していったこと。戦国時代からの武田氏、上杉氏、北条氏という三つ巴の争いの中で培われた「自主独立の精神」と「敗者への思いやりの心」が経済的な成功と数々の慈善事業を成し遂げたことなどを熱い口調で語られました。
この戸谷八商店の屋敷や蔵も不動産の賃貸などで何とか維持しているそうです。本庄宿の歴史を物語る戸谷八商店を後世にも残していきたいものです。
戸谷充宏さん、大変ありがとうございました。
「老舗15代目が語る中山道本庄宿」 戸谷八商店の蔵(奥が江戸時代の蔵)
蔵の入口(戸谷八商店前蔵) 戸谷八文庫蔵の扉
井戸(奥)と洗面台 戸谷八稲荷神社
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