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掲載日:2023年2月7日
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本庄市南部に位置する児玉町は、2006年に本庄市と合併し、新たに本庄市となった地域です。
児玉町は、地形の変化に富み自然豊かであったことから、昔から大変住みやすい地域であったと言われています。また町内には、先人たちが残した史跡が多く残されています。埼玉県の三大偉人の一人である塙保己一も児玉町出身者です。
今回は、埼玉県内でも有数の「遺跡の宝庫」と呼ばれる児玉町の見どころを一部ご紹介します!
塙保己一と本庄市マスコット「はにぽん」が、児玉町であなたを待っています!
塙保己一は、江戸時代の中頃の延享3年(1746年)に、武蔵国児玉郡保木野村(現在の本庄市児玉町保木野)に生まれました。
♪塙保己一について♪
塙保己一は7歳のときに病気のため失明し、15歳で江戸に出て当道座(盲人の組織)に入り、検校雨富須賀一(あめとみすがいち)に弟子入りしました。
保己一は国学者としても著名です。”世のため、後のため”に41年かけて失われつつある各種文献を収集してまとめた「群書類従」を編纂しました。「群書類従」正編666冊、続編1185冊は、現在、日本の文学・歴史等を研究する上で欠くことのできない重要な資料となっています。また、和学講談所の設立及び運営、当道座の改革など多大な功績も残しています。
保己一の生まれた保木野地区には生家(国指定史跡)と墓があり、アスピアこだま内には保己一の遺品や関係資料(埼玉県指定文化財)を展示する塙保己一記念館があります。
塙保己一記念館 (本庄市児玉町)
塙保己一記念館について、詳しくは本庄市ホームページをご覧ください。
拝殿
東石清水八幡神社(ひがしいわしみずはちまんじんじゃ)は、八高線児玉駅から徒歩20分程度で、旧児玉町の中心街にあります。駐車場は境内にあります。地元では「八幡さま」と呼ばれ親しまれています。
社伝によれば、永承6年(1051年)に源義家が奥州藤原氏と東北地方で戦った奥州合戦の際、この地に立ち寄り祭壇を設けて戦勝を祈願したとされています。そして合戦に勝利して奥州を平定した後、再びこの地に立ち寄り石清水八幡宮を勧請したと言われています。
随身門
随身門をくぐりぬけると、青銅製の鳥居の先に拝殿が鎮座しています。
18世紀前期に建てられた鳥居。平成2年(1990年)に、埼玉県指定有形文化財に指定されています。
拝殿には立派な彫刻が施されています。思わずカメラを向けてしまうほど素敵です。
拝殿の屋根は入母屋(いりもや)造りと呼ばれるもので、本を半ば開いて伏せたような形をした切妻(きりづま)が、4方向に傾斜する屋根面を持つ寄棟(よせむね)造りの上部に付いている構造になっています。
拝殿に施されている立派な彫刻は、江戸の優れた彫刻師である獅子五右衛門・龍の茂衛門などによるものです。中国風のデザインである唐様(からよう)の彫刻が豪華ですね。
扇状地地形のため生活用水が豊富でなかった児玉町の市街地域に水を供給するために建てられた配水施設である、児玉町旧配水塔も必見です。旧配水塔は、昭和6年(1931年)に建設されました。
平成12年に「国土の歴史的景観に寄与しているもの」として、国登録有形文化財に登録されました。
高さ17.7メートルの塔の内部の構造としては、1階は揚水用ポンプ室、天井はドーム形の筒形高架水槽となっています。
現在は時報塔として活用されています。
窓とドアの形がレトロですね。
八幡神社を出てすぐの細い道を左折すると見えてくる、赤い三角屋根がかわいい洋菓子店「パンとお菓子 マロン」で発売されているケーキ「配水塔のある景色」は、この旧配水塔をイメージして作られたのだとか。旧配水塔は、児玉町のシンボル的存在なのですね。
児玉町には、三島由紀夫をはじめ、著名な文化人が宿泊したとして有名な田島屋旅館もあります。木造建築で、表は2階建になっていますが、奥は木造三階建になっており、建物の裏には蔵があります。(現在は営業しておりません。)
田島屋旅館外観
現在は建物内の見学はできませんが、かつては著名な文化人が訪れた人気の旅館だったようです。
明治40年(1907年)に開業され、大正5,6年(1916,1917年)に建てられました。2階は7室、3階は3室ある客室になっていて、3階には戦後の日本文学を代表した三島由紀夫をはじめ、吉田健一や中村光夫などの日本の有名な文化人が児玉町を訪れた際、ここに宿泊したようです。
2018年1月に当センターが発行した「再発見シリーズ 第3弾 児玉を巡る 鎌倉街道の再発見」によると、三島らが塙保己一の旧宅を訪れる際、三代目の田島康子さんの母親が旅館から案内人として付き添ったそうです。当時4歳だった田島さんは、三島にだっこされて行ったのだそうです。
また、吉田健一(随筆家で、時の総理大臣吉田茂の息子)はここを気に入ったらしく、何度も宿泊していたようです。吉田は、「酒に呑まれた頭」(昭和30年発行)という随筆集に掲載された彼のエッセイ「ある田舎の魅力」において、児玉町を紹介しています。宿泊した文化人のサインとともに、この随筆集も当旅館に残されています。
3人の文化人は、田島屋旅館で何を語り合ったのでしょうか。そんな3人に思いを馳せながら、彼らが散策した児玉町を巡ってみたいものです。
児玉に出向いた際、お土産を買いに立ち寄りたくなるのが、和菓子くろさわ。地元でも人気の老舗和菓子屋さんで、創業から約100年に渡り多くの人に愛され続けています。
そんな和菓子くろさわの名物は、「本造り酒まん」です。
和菓子くろさわ自慢の「本造り酒まん」。
やさしい甘さでとても美味しいので、ペロッと食べられてしまいます。
桜餅もこしあんが美味!
ふわふわの生地をほおばると、やさしい酒麹の香りが鼻を抜けます。生地の中にたっぷり入っているやわらかいこしあんは、甘すぎることなく、ほんのりした甘さが口いっぱいに広がります。
イースト菌や膨張剤は一切使用せず、何日もどぶろくを寝かせて作り上げた本物の酒まん。価格もリーズナブルですので、お茶のお供に是非ご賞味あれ!
石階段は少しきついので、運動靴で行くのがオススメ!
最後にご紹介するのは、蝦夷征討し征夷大将軍となった坂上田村麻呂と縁が深い日本神社。児玉の町中からはちょっと距離がありますが、児玉町に来たらせっかくなので日本神社にも足をのばしてください。
社伝によれば、791(延暦10)年に坂上田村麻呂が蝦夷征討の途中、この地に立ち寄り初代天皇とされる神武天皇を祀って戦勝を祈願したと言われています。蝦夷征討後、神社を建立したのが始まりで、当初は「神武神社」と称していました。1874年(明治7年)に6つの神社が併合され、1881年(明治14年)に「日本神社」に改名されました。
日本神社に行くまでの景色も楽しんで。
山道を登ると、なんだか神聖な気持ちになります。
石階段を上って見えてくるのは、大きな鳥居と青いだるま。実はこの日本神社、児玉商工会青年部が戦勝の願いを込めた青だるまをなでしこジャパンに贈り、2011年FIFAワールドカップをなでしこジャパンが制した際に必勝青だるまが奉じられたことで一躍有名になりました。それ以来、サッカー日本代表を始め、部活動や各スポーツ団体など多くの方が必勝祈願で青だるまを求めて日本神社に訪れるようになりました。
前述した通り、祀られているご祭神は神武天皇で、参拝すると武運、国土守護、災難除けなどのご利益が期待できます。参拝すれば、あなたの勝利運がアップするかも?!
日本神社まで来たら高窓の里はすぐ近くです。こちらにも是非足を運んでください。
偉人を輩出し、文化人に愛され、美味しいグルメが楽しめる児玉町。こうして街中を徒歩で散策してみると今まで気付かなかった意外な魅力が発見できるかもしれません。多くの名跡が残り魅力が詰まった児玉町に、是非足をお運びください!
児玉町について、詳しくは北部地域振興センター本庄事務所作成【児玉を巡る 鎌倉街道の再発見】、【本庄市観光協会】、【本庄市ウォーキングマップ】をご覧ください。
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