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掲載日:2024年12月3日
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本庄・児玉地域には、古墳などの遺跡が多く点在しています。
南端の丘陵地帯の裾を鎌倉街道が、東端には中山道最大の宿場町があり、古くから発展してきました。
街歩きの途中に立ち寄ってみたらいかがでしょうか。
ひと味違う、本庄・児玉地域の魅力を発見できるかもしれません。
宥勝寺裏埴輪窯跡は、古墳に立て並べるための埴輪を焼いた窯の跡です。
窯の形は、丘陵斜面の傾斜を利用してつくられた半地下式の登り窯で、長さ7メートル前後、幅1.5メートルほどの大きさがありま
す。一番下の部分に薪を入れる焚口があり、その手前には作業をおこなうための平らな面が広がっています。窯の内部には薪を燃や
す部分や埴輪を焼く部分があり、一番上に煙を排出するための穴が開いています。また、窯の周辺には、材料となる粘土を採掘する
場所や、埴輪を造形する工房などの施設もあったと考えられます。
窯のまわりからは、円筒埴輪や人物埴輪、馬形埴輪のほか、矢を入れる武具の一種である「靫(ゆぎ)」、大きな団扇のような形をし
た「翳(さしば)」など、さまざまな形の埴輪が出土しました。これらの遺物から、窯が使われていたのが、6世紀後半ころと推定
されています。
出土した靫(ゆぎ)形埴輪4体は、本庄早稲田の杜ミュージアム(別ウィンドウで開きます)で展示されています。
令和5年10月6日写真撮影
宥勝寺埴輪窯跡
靫形埴輪(早稲田の杜ミュージアム)
※撮影当日1体貸出中でした。
住所 | 本庄市早稲田の杜1-12-16(マリーゴールドの丘公園内) |
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地図 | 地図(別ウィンドウで開きます) |
浅間山古墳は上里町東部から本庄市西部の本庄台地の先端部に広がる古墳で、直径約38メートル、高さ約6メートルの規模があり、
横穴式石室を持つ円墳と考えられおり、石室には角閃石安山岩が使われています。
出土遺物は、昭和2年玄室の一部が露出した時に出土した直刀2、鉄鉾1、金環(耳環)5、玉類、鉄鏃多数(現在東京国立博物館収
蔵)、昭和63年から3回行われた範囲確認調査で、直刀4、鉄鉾1、鉄鏃多数、須恵器平瓶1、銅鋺1(上里町立郷土資料館(別ウィン
ドウで開きます)保管)が出土しています。築造時期は、出土遺物などから古墳時代終末期の7世紀後半と考えられます。
石室がむき出しになっており、古墳に上ると中の様子を見ることができます。
令和5年9月27日写真撮影
旧中山道沿い鳥居
鳥居からの古墳
古墳正面
古墳内部
旧中山道沿いからの古墳外観
わき道からの古墳外観
浅間山古墳は、中山道沿いにあります。
当事務所発行の冊子「中山道最大の宿『本庄宿』の再発見 改訂版」(別ウィンドウで開きます)でも紹介しています。
併せてご覧ください。
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