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掲載日:2023年11月27日
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高山社と競進社模範蚕室
このほど、世界文化遺産に登録された絹産業遺産群のひとつである「高山社跡(群馬県藤岡市)」。
明治16年、高山長五郎は通風と温湿度管理を調和させた「清温育」という優れた養蚕飼育法を確立しました。
長五郎は翌年設立した高山社において多くの社員・生徒を育て、やがて彼らは全国に養蚕指導員として派遣され、清温育を全国に広めました。
この高山長五郎の弟で、明治9年に炭火の火力で蚕室の湿気を排除し、換気を良くして蚕の病気を防ぐ飼育法である「一派温暖育」を考えたのが木村九蔵です。
木村九蔵は明治27年に教育機関である競進社模範蚕室(埼玉県本庄市)を建設し、同社の卒業生がこの飼育法を全国に広め、我が国養蚕業の発展に大いに貢献しました。
高山長五郎と木村九蔵の兄弟は、交流し、また、切磋琢磨しながら養蚕飼育法の改良に努め、繭の安定生産を実現させました。
日本の養蚕業の発展は、養蚕技術の改良に一生を捧げたこの兄弟の功績を抜きにしては語れません。
高山社跡と競進社模範蚕室は距離的にも近く、車で20分ほどです。
両施設をめぐり、明治時代の熱い息吹を体感しましょう。
高山社跡は全日、また、競進社模範蚕室は、月曜日(休館日)以外は毎日公開しています。
この機会に是非、お出かけください。!
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