トップページ > 県政情報・統計 > 県概要 > 組織案内 > 企画財政部 > 企画財政部の地域機関 > 北部地域振興センター本庄事務所 > 地域の見どころ・情報 > NHK大河ドラマ主人公 渋沢栄一の活躍を今に伝える県境の魅力めぐりその10
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掲載日:2023年1月4日
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埼玉県の最北端・本庄児玉地域は、通勤・通学、通院、買い物など日常的に群馬県との県境を行き来し、県北にあって熊谷市や深谷市などとは異なる生活圏を形成しています。
この県境にまたがる地域は、令和3年のNHK大河ドラマの主人公渋沢栄一や、2021年に没後200周年を迎える盲目の国学者・塙保己一をはじめ各分野で活躍する多くの先人たちを輩出しており、我が国の成長を支えた産業遺産も数多く点在する地域です。
この特集は、東京国際大学非常勤講師・NPO川越きもの散歩代表の藤井美登利氏に取材、執筆をお願いし、地域の皆様にご登場頂きながら進めてまいります。
当時の時代背景や、渋沢栄一と絹産業にまつわるお話など、写真やエピソードを挿み分かりやすくお伝えし、こちらにお出かけの際に参考となるよう周辺施設のご案内も併せてしていきます。
*新型コロナウイルスまん延防止等重点措置が3月21日まで延長となったため、対面での取材や県外への取材が叶いませんでした。今回は過去の取材をもとに構成しています。
黒澤仁さんとかつ代さん
埼玉県には、伝統的手工芸品として埼玉県知事が指定した染織品があることをご存知でしょうか? 秩父銘仙、飯能大島紬、熊谷染、武州正藍染、草加の本染浴衣、長板中型などがあります。養蚕が盛んであった本庄、児玉地域にも、農家の副業だった太織りが発展した「本庄絣」という織物があります。利根川を渡ればすぐ群馬県伊勢崎市という地の利もあり、伊勢崎織物とともに発展してきました。
藤井(筆者)が代表を務めるNPO川越きもの散歩の事業のひとつに、「埼玉の養蚕文化の振興」があります。埼玉県のブランド繭「いろどり」を100キロ購入し、オリジナルのきもの作りを4年間行いました。秩父の養蚕農家を見学した際に、「50年間養蚕をやっているけれど、きもので見学に来てくれたのはあなたたちが初めてですよ」と言われたことがきっかけでした。
「生産者」と「購入する人」が分断されていることに気づき、「顔の見えるオリジナルのきものを作ろう!」という無謀ともいえる挑戦をすることになったのです。県農林部のアドバイスなどもあり、生糸20キロが届きました。
埼玉県のブランド繭「いろどり」
繭100キロから生糸20キロができます。繭2600粒が1反のきものに必要です。
さて、それをどうやってきものに織りあげるか。。。
電話帳で県内の織元を探し、やっとたどり着いたのが、本庄の黒澤織物さんでした。素人のきもの愛好家たちの、「繭からのきもの作り」に応じてくれる織元はなかなかいませんでした。それもそのはず、「1反づつ違う色のきものが欲しい」というわがままな注文だったからです。黒澤さんは手織り、草木染でそれを叶えてくださいました。
川越から本庄へ、きものの注文があるたびに注文者を連れて黒澤織物を訪問し、赤レンガのローヤル洋菓子店でケーキを食べて帰るのがお決まりのコースでした。4年間で40反ほどのきものや帯を作って頂きました。
黒澤仁さんとかつ代さんは伊勢崎の織物工場での職場結婚。仁さんは織場(おりば)と染料の色だし、外交(営業)などすべての過程を経験し、25年勤務の後に独立しました。それからはかつ代さんとふたり、下職も抱え、平成10年まで手広く八王子や名古屋の買継問屋に反物を卸していました。
自宅の離れに専用の高機があります。
「実家は伊勢崎の農家で、家族のきものは母が織っていました。姉がお嫁に行くときの布団も母が織り、家に木工屋さんが来て機織りの道具を作ってもらうのをよく見ていました。娘が17.8歳ごろになると近所ではみんな機織りをはじめましたね。機織りできないとお嫁にいけないよ、と言われて育ったんですよ。家に機織り機が2台もあれば蔵が建つ、といわれた時代もありました。」とかつ代さん。
織物作りは下準備が沢山あります。かつては分業体制でしたが、今はすべてお二人で行います。
オーダーした自分のきものを織らせてもらう藤井(筆者)。不器用なので手と足がうまくかみ合いません。
小学生も織物体験ができます。
NPOの事業として行った「繭の地産地消・顔の見えるきものづくり」の1年目は、黒澤さんに依頼した7人分のきものができました。繭を生産した秩父の養蚕農家、生糸作りをアドバイスしてくれた県農林部の近達也さん、きものを織ってくれた黒澤ご夫妻をお招きし、お披露目をかねてのシンポジウムを川越で開催しました。
前列のメンバーは黒澤織物のきものを着ています。注文者は好きな色の草木染で、黒澤さんと一緒に手織りを体験をしながら、自分のきものを作ることができました。その翌年には秩父神社の蚕糸祭に参加し、蚕を育てた養蚕農家の方にも見てもらうことができました。
中央に黒澤夫妻、その左が秩父の養蚕農家宮崎さん、右は木版染を依頼した藤本染色さん。
さいたま市の障がい者支援施設織の音アートさんも参加。(川越 蔵里にて 平成21年11月)
繭から糸を引く県農林部・近達也さん
きものの解説をする黒澤仁さん
日本人の普段の暮らしから、きものがなくなり、かつての織物産地から機の音は消えていきました。
伊勢崎でも銘仙の最後の織元がなくなり、全国的に有名な織物産地の桐生でさえ、きもの専門の織元は1軒となりました。本庄織物組合員も36名だったのが2名となり、組合も数年前に解散しました。
そんな中、黒澤織物では子育てを終えた、長女の反町眞弓さんが、ご両親から織物の技術を受け継ぎ、後継者として活動をはじめています。小川町にある埼玉県伝統工芸館での織物体験事業や、埼玉県女流工芸展への出展などを行いながら、本庄の小学校での体験授業も行われています。
ふるさと納税の返礼品として、本庄絣のポケットチーフも展開し、バックや若者向けのキャップなどにも使われるようになりました。
黒澤仁さんと織物を継承した眞弓さん
(本庄商工会議所にて)
本庄絣のポケットチーフ
独学で帽子作りを学んだ今井さん
W@nderFabric(ワンダーファブリック)は、都内のアパレル業界で活躍をしていた今井俊之さん(上里町出身)が、本庄市で始めたCAP(キャップ)専門の工房です。ネット通販を通して、世界中から注文が来るという一点もののキャップ・帽子の素材は、きものや帯地です。
「テキスタイルとしてみると、日本のきものや帯は、世界に誇れる染織技術が使われています。それらがタンスに眠ったまま忘れられ、捨てられていくことがもったいなくて。この生地の魅力をファッションとして、CAPで発信したいと思いました。黒沢織物さんからも生地をゆずってもらい、養蚕や織物で栄えた本庄の町の織物でCAPを製作できたことは、自分がこの町で何をできるかを考えるいい機会になりました。」という今井さん。
WEBサイト(別ウィンドウで開きます)には伊勢崎銘仙や秩父銘仙、桐生織、西陣織などで作成したCAPが掲載されています。きものをテキスタイルとして捉え、現代の若者文化に活かす今井さんの取り組みは、様々な可能性を感じさせてくれます。
昨年11月に大宮公園で開催された埼玉WABISABI大祭典(主催埼玉県)の「きものショー・伝統とフリースタイル」を、フジイが代表をつとめるNPO川越きもの散歩が担当しました。英国人きもの研究家のシーラクリフさん(十文字学園名誉教授)のスタイリングで、大野知事にもきものを着てもらい、斬新なスタイルに挑戦して頂きました。きものにベルトとブーツ、シルクハットをかぶったスタイルはいかがでしょう?
このシルクハット、実は、渋沢栄一翁が大きく関わっているのです。明治22年(1889)に日本最初の帽子会社を栄一が発起人となり立ち上げました。当時輸入品しかなく高価だった帽子を国産化し、トレードマークのように自身も愛用しました。栄一は経済だけではなく、日本の服飾文化にも貢献していたのですね。その後、帽子を装飾するリボンの会社も設立しているようです。気になりますね!
詳細は東京帽子のHPをご覧ください。
中央の赤い着物にシルクハットが大野知事です
埼玉WABISABI大祭典の様子はこちらから 知事挨拶の動画 https://www.youtube.com/watch?v=0_Zsgvcy5VI&list=PLCJYhGffmq13hEi_OZXHz5SxVQ9OGHrQO&index=5
(文責・NPO川越きもの散歩・さいたま絹文化研究会 藤井美登利)
*本文・画像の無断転載はご遠慮ください。
最後に
今回でこのシリーズは最終回となります。約1年間ご愛読ありがとうございました。
6年前に拙著「埼玉きもの散歩」(さきたま出版会)で渋沢栄一と富岡製糸場のつながりを紹介しましたが、今回はより深く、栄一翁の育った土地の空気や養蚕人脈に接することができました。栄一翁が関わった養蚕、製糸、鉄道、郵便、流通などの近代化遺産が、県北のこの地域に多く残っていることを感じました。
それらを再評価し、誇りに思って活動されている地域の人との出会いは、とても楽しく、パワーを頂くことができました。取材に快く応じて頂いたみなさまに厚く御礼申し上げます。時間が許せば児玉、神川、鬼石、藤岡、新町など、県境の絹の道もたどってみたかったと思います。
みなさまも、この地域の失われつつある絹文化に思いを馳せ、タンスに眠るきものを取り出してみてはいかがでしょうか。先人たちは、繭で近代化を進めてきたのですから。
2024年、世界平和を願い、ノーベル平和賞に2回も推薦された栄一翁は、新札の顔となります。その時には格差の少ない、平和な世界になっていますように。
NPO川越きもの散歩(別ウィンドウで開きます) 藤井美登利
その2 世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」「田島弥平旧宅」 | |
『©深谷市』 |
その4 渋沢栄一論語の師・尾高惇忠と桃井可堂郷土史料館(深谷市)
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その6 繭で栄えたまち・本庄を歩く(1) 創業460年「戸谷八商店」15代目に聞く
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その8繭で栄えたまち・本庄を歩く(3) |
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