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掲載日:2023年11月1日

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中山道最大の宿『本庄宿』の再発見 vol.4

第四弾は、大正院から(有)戸谷八商店までを紹介する。 

大正院~(有)戸谷八商店

江戸時代はこんな感じ

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拡大図(JPG:1,956KB)
 

これが現在 

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拡大図(JPG:2,794KB)

※この地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の電子地形図(タイル)を複製したものである。
(承認番号 平28情複  第1079号)
 

中山道と十間通りとの交差点(中山道交差点)から本庄市街に向かう道はゆるい下り坂となっている。
大正院を過ぎて40メートルほど進むと押しボタン式の信号のある交差点に差しかかる。 

久城堀

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久保橋(相生橋)があった交差点 最も低い地点だ
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道路の下を久城堀が流れている
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ちょっと寄り道

この交差点から60メートルほど西に進み、細い道を北に向かってみる。正面には、円心寺の立派な山門
が見える。

すると、あれっ、こんなところに。

何これ?

普通の家の前に庚申塔が。はて、これは?

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ちょっと気になりつつも進んでみる。 

そして円心寺に到着。

円心寺 

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円心寺は、二代本庄城主小笠原信之が、家康の四天王と言われた実父酒井忠次の供養に慶長8年(1605年)に三河国より僧円心坊を招いて建立したもので、元禄6年(1693年)、鴻巣宿勝願寺の末寺となった。
当寺に安置されている仏像の一つに木造の観音菩薩像がある。伝えによると、これは応永年間(1394年~1428年)に村民の文次郎の祖先が阿波国より持参し、明和年間(1764年~1772年)に当寺に納めたものらしい。
山門は本庄市指定文化財で、仁王像は天明8年(1788年)の作と言われている。
立派な楼門で二層には梵鐘(つりがね)がかかっている。


さて、ここまで来て、本庄城跡を見ないわけにはいかない。

来た道をちょっと戻って、久城堀跡の道路を北東に進む。
信号のある交差点を左折して50メートルほど行き、細い道を右折して50メートルほど進むと「本庄城址」という碑と城山稲荷神社の鳥居の前に出る。

 

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本庄城

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城山稲荷神社 

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石段を下りると県の天然記念物に指定されている御神木の大欅がある。市指定文化財のヤブツバキもあり、古くは椿稲荷神社と呼ばれていた。
通常、神社は小高い所か平地に祀るものであるが、ここは階段を下って社殿に参拝する、珍しい下り参道になっている。
本殿には、稲荷神社、八幡神社、八坂神社が合祀されている。
稲荷神社は、旧城主本庄氏が久城堀東岸に築いた本庄城(弘治2年〔1556年〕)に勧請したものであるが、慶長17年(1612年)、新城主となった小笠原氏が久城堀西岸に本庄城を移した際に現在地に鎮座している。
八幡神社は、小笠原氏が円心寺建立時に、家老の脇屋金左衛門が寺の守護として祀ったもので、その後、明治41年にこの地に城山稲荷神社に合祀された。
この城山稲荷神社は、参道沿いの約80本の桜並木が本庄市内の桜の名所になっていて、4月の第2日曜日には城山稲荷春季大祭も開催されている。

 

ここでさらに寄り道 ~本庄グルメ~

本庄城跡の一角に地元産野菜が食べられる「ハナファームキッチン」というレストランがある。
城山稲荷神社の鳥居前から、来た道を戻り、先ほどの信号のある交差点を過ぎて100メートルほど進むと左側にある。
 

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オーナーの花里陽介さんは農家の生まれで、都内のレストランで7年間修業した後、市内児玉町の実家で3年農業に従事した経験を持つ。
この地にレストランをオープンしたのは5年前で、コンセプトは「農産物生産者と消費者との橋渡し」。
野菜の栽培やプロの料理人としての経験をもとに、この思いを実現するため、新鮮で安心な地元野菜を使った創作料理を提案している。
東京都品川区内にもレストランを展開しており、そこでも本庄市及びその近郊で生産される野菜を使用している。
「本庄周辺で生産される農産物を広くPRすることにより、わずかながらでもこの地域の知名度アップに貢献できれば」と語ってくれた。
気軽に楽しめるランチメニューは常時6種類が用意され、オーナーのおすすめは「Today's Special Lunch Plate Set」(日替わりプレートセットにプチデザート付)。どのメニューも15種類ほどの色とりどりの野菜を使うとともに、それぞれの野菜に合った調理法にこだわり、絶妙の火の通し加減で提供できるよう心掛けているとのことだった。
 

店内はビニールハウスのイメージ
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オーナーおすすめの日替わりプレートセット 新鮮野菜でボリュームたっぷり
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さて、中山道に戻ろう。

中山道に戻って西に進む。本庄駅前通りと交差する「本庄駅入口」だ。

 

本庄駅入口交差点から西方向を望む 

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交差点を渡ると右側には埼玉りそな銀行本庄支店。

ここは森田助左衛門家の屋敷跡である。
森田助左衛門家は本庄宿の名主兼問屋役であり、戸谷半兵衛家とともに本庄宿を代表する豪商である。
四代目助左衛門は人格高潔で、飢饉や、足尾銅山が不況に陥った際の救済など、奇特行為の数々から
名字帯刀を許され、また、歌人、国学者としても著名である。

この埼玉りそな銀行本庄支店の西側、現在は月極駐車場となっているところに「田村本陣」があった。

田村本陣

大名や幕府役人などが宿泊した、いわゆる公認の宿舎が本陣であり、本庄宿には中山道を挟んで北側に田村本陣(本町)、南側に内田本陣(中町)があった。
田村本陣の創業は加賀前田藩が寛永10年(1633年)、本庄宿に行列宿泊の本陣を置いたことに始まる。間口26間、奥行27間、建坪200坪は中山道でも屈指の規模である。
第14代将軍徳川家茂に嫁するため江戸に下る皇女和宮も文久元年(1861年)に宿泊している。
本陣門は明治10年頃に一度、群馬県堺町島村の田島家に売却された。その後本庄市が買い戻し、昭和46年に市の文化財に指定して市立歴史民俗資料館に移築している。
一般旅籠とは異なり本陣は格式があるが、実は経営は苦しかったらしい。そのため、本陣主人は客の勧誘対策に相当努力したらしく、正装して宿の入口で行列を迎えることはもちろん、前泊地まで身内の者が御機嫌伺いに参上したり、時には、次の宿泊願いに江戸屋敷まで手土産を持って出向くこともあったらしい。
ちなみに、江戸時代を通じ本陣二軒を最後まで維持できた宿場は、中山道では本庄、新町、松井田、塩名田(長野県佐久市)の四宿だけだった。

 

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田村本陣跡のすぐ西側に(有)戸谷八商店がある。 

 

(有)戸谷八商店

 

 

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看板に「瀬戸物商。創業永禄三年」とある。永禄三年というのは1560年。尾張国で織田信長と今川義元との桶狭間の戦いがあった年だ。450年以上も続いているなんて…。
当主の息子である戸谷充宏さんに話を聞くことができた。

ちょっと一息

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戸谷八稲荷
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(有)戸谷八商店の向かいに(株)岸屋がある。葬儀社である。もともとは廻船問屋だったらしい。
戸谷八も古いがこちらも古い。創業は元禄2年だ。
元禄2年(1689年)はまだ江戸時代の前期。ちなみに、この年、松尾芭蕉が奥の細道の旅に出ている。

 

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次回は、(有)戸谷八商店から中央3丁目交差点(埼玉懸信用金庫本庄支店前)までを辿ります。

 

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企画財政部 北部地域振興センター 本庄事務所 地域振興・産業労働担当

郵便番号367-0026 埼玉県本庄市朝日町一丁目4番6号 埼玉県本庄地方庁舎1階

ファックス:0495-22-6500

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