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掲載日:2023年11月1日
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※この地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の電子地形図(タイル)を複製したものである。
(承認番号 平28情複 第1079号)
中山道の旅もいよいよ上里町に突入。
西に向かって進むとすぐ左側に小高い山と赤い鳥居が現れる。浅間山古墳だ。
本庄市西部から上里町東部に広がる旭・小島古墳群の一基で、7世紀前半に造られた横穴式石室を持つ古墳である。
直径約38メートル、高さ約6メートルの円墳と考えられており、古墳の上には富士浅間神社が祭られている。
昭和2年の調査で直刀や矢じり、金環などが発見され、一部は東京国立博物館に保管されている。
外から石室の中を見ることができる。
ところで、この浅間山古墳にはこんなエピソードがある。
浅間山古墳の反対側の根岸家の一角に「中仙道」という標柱がある。標柱の裏を確認させてもらったところ、「この道は中仙道。今、この呼び名が消えそうなので後世に伝えたく米寿を記念してこれを建てる 平成11年4月1日」と記されている。
主の根岸さんによると、「父親が建てたもの。ガイドブック片手に中山道を歩く人がよく写真を撮っていく」とのことだった。
「中仙道の標柱」から少し行くと右側に泪橋跡がある。これも個人の敷地の一角である。
置かれているのは泪橋の石製の欄干の一部だ。昔は、この辺に小さな川があったらしい。
石碑の裏には「徳川幕府は、大名等が通行する際、街道住民に伝馬という苦役を課した。住民は、この橋に憩い、家族を偲び、身のはかなさを嘆いて泪を流した」とある。
伝馬とは、宿場から次の宿場に行く時に乗り継ぐ馬のことで、人や馬の常備が宿場には義務付けられていた。往来が激しくなると、人や馬の不足を補うために近隣の住民は人馬継立に従事をさせられ、それは農繁期であっても免れなかったために大きな負担となっていた。
西に向かう。
「神保原陸橋(北)」交差点を過ぎて60メートルほど行き、細い道を左折。70メートルほど行った突き当りを右に進むと安盛寺がある。
曹洞宗の寺で、昌福寺(深谷市人見)の末寺である。天正10年(1582年)の神流川の合戦で一切を焼失したが、その後、元和年中(1615年~1624年)に奥喜兵衛慰安盛により再興されたことから安盛寺と改称した。
ところで、安盛寺境内には面白いものがある。
門をくぐってすぐ左手にいろいろな石仏と馬頭観音や庚申塔などが置かれている。
これはどこから集められたものなのか?
反対側には木の切り株も祭られている。
安盛寺から中山道に戻って旅を続ける。
すぐに小さな橋に差しかかる。楠森橋だ。
この橋の先は鉤の手(直角)に曲がっている。
これは防衛の一手段であり、敵が一気に攻めてこられないように、また、敵を追い詰めやすくするために宿や城下町の入口をわざわざ直角に曲げたということだ。
左にカーブし、300メートルほど行くと神保原駅入口に差しかかる。
駅入口からちょっと先のところに庚申塔がある。
各地に庚申塔はあるが、このように道の両端に残っているのは珍しい。
駅入口から南に向かって400メートルあまり進むと神保原駅だ。
神保原駅は明治30年(1897年)に開設された。
駅名は当時の村名、神保原村(石神村、忍保村、八町河原村が明治22年〔1889年〕に合併)に由来する。
昭和9年築のレトロな駅舎が残っている。
ところで、神保原駅の1番ホームには七福神の像が鎮座している。
さらに、このホームには池もあり、乗客の目を楽しませてくれる。
試しにおみくじを引いたら「大吉」だった。
神保原駅にはこんなエピソードもある。
駅を出てすぐ左折すると右側にあるのがアイスクリームのキムラヤ乳業株式会社だ。
実はグリコのパピコはここで作っている。
大手メーカーから委託されたアイスの製造が中心だが、冬場は上里町産の小麦と神川町のブランド豚である「姫豚」を使った「こむぎっち肉まん」も製造している。「こむぎっち肉まん」は、上里サービスエリア下り線で販売している。
この近くに近所でも評判の和菓子屋があると聞いたのでちょっと足を延ばしてみる。
キムラヤ乳業株式会社の前の道を80メートルほど西に行くと広い通りに出る。ここを左折して踏切を渡るとすぐ左側にあるのが「塚越製菓店」だ。
塚越製菓店
店の前には「だんご」「くさ餅」という幟がはためいている。
ここは上里町で唯一の和菓子専門店らしい。
店主の塚越一久さんに話を伺った。
「この地で創業してから50年ほどになる。私は2代目である」
売れ筋を聞いたところ、「人気があるのはみたらしだんご。この時期(3月)は草餅もよく出る。だんごは注文を受けてから焼いている」とのこと。
温かいみたらしだんごは焦げ目が香ばしく生地はもっちり。程よい甘じょっぱさがいい。
さて、中山道の旅を続けよう。
神保原駅入口まで戻り、西にしばらく進むと「神保原1丁目」交差点に差しかかる。
この辺りは村の出入り口にあたる鈎の手で、ここを右折する道が中山道だ。
安盛寺の弥勒如来像がもともと安置されていた養善寺はこの交差点の西側にあった。
次回はいよいよ最終章。
陽雲寺、大光寺などを辿ります。
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