トップページ > 県政情報・統計 > 県概要 > 組織案内 > 企画財政部 > 企画財政部の地域機関 > 北部地域振興センター本庄事務所 > 地域の見どころ・情報 > NHK大河ドラマ主人公 渋沢栄一の活躍を今に伝える県境の魅力めぐりその9
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掲載日:2023年11月27日
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埼玉県の最北端・本庄児玉地域は、通勤・通学、通院、買い物など日常的に群馬県との県境を行き来し、県北にあって熊谷市や深谷市などとは異なる生活圏を形成しています。
この県境にまたがる地域は、令和3年のNHK大河ドラマの主人公渋沢栄一や、2021年に没後200周年を迎える盲目の国学者・塙保己一をはじめ各分野で活躍する多くの先人たちを輩出しており、我が国の成長を支えた産業遺産も数多く点在する地域です。
この特集は、東京国際大学非常勤講師・NPO川越きもの散歩代表の藤井美登利氏に取材、執筆をお願いし、地域の皆様にご登場頂きながら進めてまいります。
当時の時代背景や、渋沢栄一と絹産業にまつわるお話など、写真やエピソードを挿み分かりやすくお伝えし、こちらにお出かけの際に参考となるよう周辺施設のご案内も併せてしていきます。
このシリーズの第2回目で、世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群・田島弥平旧宅」を紹介しましたが、その隣にあるのが田島本家・田島武平(ぶへい)旧宅の「桑麻館(そうまかん)」です。弥平旧宅は、建物内部の見学はできませんが、お隣の「桑麻館」は建物内部が公開されています。明治初期に、イタリア・ミラノに蚕種を販売に出かけた田島武平の子孫・田島信孝さんにお話しを伺いました。
世界遺産・田島弥平旧宅の隣にある田島武平旧宅
入り口に小さな看板 「桑麻館」とあります。
1863年に建てられた建物。屋根や外観は、近年改築されましたが2階内部は当時の部材のままです。
6代目田島武平の玄孫(やしゃご)の田島信孝さん。
桑麻館の2階の様子。建物の柱などは1863年の建築当時のままです。広大なスペースが広がり、ここで蚕に卵を産ませるための養蚕を行っていました。当時は春の1回だけの養蚕です。多くの人がこの2階で作業をしていました。
渋沢栄一の生家がある深谷市血洗島と田島家は、直線距離で2キロほど。田島武平(6代目)の妻しげは、栄一の従妹にあたります。また、しげの妹のよしは、栄一の生涯の友で従弟の渋沢喜作の妻となります。武平と喜作は妻同志が姉妹ということになります。
田島武平宅では江戸から文人墨客・学者を招き「有為塾」を開いていました。若き栄一が父親と一緒に学びに来ていました。
ぐんま島村蚕種の会のパネルより
田島家6代目武平
明治天皇の后、美子(はるこ)皇后は明治4年に宮中での御養蚕を復興されました。御養蚕を始めるにあたり、明治政府での担当責任者であった渋沢栄一は、養蚕に精通していて親戚でもある武平を世話役として指名し、武平は4人の蚕婦を選び、準備をすすめます。その中の一人が当シリーズの第5回目で紹介した深谷本陣の妻女飯島曽野でした。
「武平も宮中での御養蚕日記を書いているので、現在それを解読しはじめているところです。丁度、明治4年の夏過ぎから横浜での蚕種の価格が暴落して、その対応に武平は忙殺されていくのです。妻の従妹の渋沢栄一にその相談をしており、会社を立ち上げることを勧められました。定款つくりや資金面でもお世話になりました。」
第1回宮中養蚕の様子を描いた錦絵(武平が世話役となった)
田島家には、第1回宮中御養蚕で収繭した、繭が桐の箱に入れられ大切に保管されています。大変豊作で、いい繭がたくさんできたそうです。蚕種は島村産のものを使いました。
「我が家には江戸時代の蚕種貸付の帳簿が沢山残されています。蚕種の取引は、蚕種を売った時ではなく、養蚕農家が無事にその蚕種から蚕を育てて繭になり、その繭を販売して現金が入った時に、蚕種家に支払われるという流れでした。蚕種家は、養蚕農家の飼育技術の向上にもつとめました。」と田島さん。
各種養蚕の道具が展示されています。
島村勧業会社と書かれた木箱。横浜への輸送で使われました。
明治5年、武平は渋沢栄一の薦めで、分家の弥平ら島村のひとたちと島村勧業会社を設立し、初代社長をつとめました。
蚕種の輸出に特化した会社で、徹底した品質管理が評価され創業から数年で「島村ブランド」を確立し、蚕種販売の日本で初めての会社となりました。一時期、東京銀座に支店をおきました。
「明治13年、武平が46歳のときにイタリアのミラノに4ヶ月滞在し、蚕種の直輸出を行いました。当時の日記や帳簿類も家に残されています。
武平がミラノに行った約120年後の2003年11月、武平と取引きをしたイタリア人の蚕種貿易商、ポンぺオマチョッキの財産管理団体の招待を受けて、私も武平が訪れたミラノ、プレッシャー、コカリオを訪問しました。
現地では大歓迎を受けてとても感動しました。120年の時間を超えてイタリアの貿易商の子孫と、日本の蚕種輸出農家の子孫が一堂に会して交歓しました。私はイタリア語は話せませんが、中国に4年以上仕事で駐在していたので、英語と中国語は堪能です。何とイタリア人と英語では無く、中国語で会話したのがとても印象に残りました。」
歓迎してくれたミラノの中学生
6代目武平が蚕種輸出で取引きをした
イタリア人貿易商の子孫と田島さん(後列右)
《取材後記》
海外で日本企業のダム開発のエンジニアとして、長年お仕事をされていた田島さん。家業の蚕種業を、どなたでも楽しく理解できるよう解説して下さいました。天保4年生まれの武平が、異文化のイタリアで堂々とビジネスを行った様子が、子孫の信孝さんを通じて浮かび上がりました。ぜひ多くの方に、幕末明治の日本の経済を支えた、日本を代表する蚕種農家の気概を桑麻館で感じて頂きたいと思います。
田島信孝さんと筆者(藤井)
(文責・NPO川越きもの散歩・さいたま絹文化研究会 藤井美登利)
*本文・画像の無断転載はご遠慮ください。
桑麻館(そうまかん) |
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住所 |
群馬県伊勢崎市境島村2243 |
営業時間 |
10時~12時、13時~16時 |
入館料 |
大人200円、学生100円、中学生以下は無料 |
休館日 |
基本は月曜日と木曜日が休み |
駐車場 |
無料 |
電話番号 |
0270-74-9348 |
アクセス |
JR本庄駅から車で15分ほど |
その2 世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」「田島弥平旧宅」 | |
『©深谷市』 |
その4 渋沢栄一論語の師・尾高惇忠と桃井可堂郷土史料館(深谷市)
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その5 渋沢栄一の養蚕人脈 飯島曽野(その)(深谷市)
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その6 繭で栄えたまち・本庄を歩く(1) 創業460年「戸谷八商店」15代目に聞く
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