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掲載日:2023年7月11日
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本庄事務所ホームページの連載記事「カイコって何だろう?!」に、いつもたくさんの声をお寄せいただきありがとうございます!
「失われてゆく養蚕文化を懐かしく感じる」というシニア層から、「蚕に触れたことはないが蚕の生態に興味が沸いた」といった蚕文化を知らない若者世代まで、多くの感想をお聞かせいただいています。
今回、当事務所ホームページをご覧いただいた上里町在住の戸矢 晃一(とや こういち)さんから、「養蚕に使ってきた建物をまもなく取り壊すので、見に来ませんか。」とのご連絡をいただきました。
そこで管内の養蚕文化を取材すべく、上里町立郷土資料館の学芸員とともに、戸矢さんのご両親の代まで養蚕が行われていたというご自宅を見学してきました。
ご両親の代まで養蚕農家だった戸矢さん宅を見学させていただきました!
貴重な養蚕関連資料・建物を見せていただき、ありがとうございました。
最初にご案内いただいたのは、母屋の隣にある建物。
最初に訪問した建物
右奥に見えるのが母屋です。
同行していただいた学芸員によると、こちらの建物内では、かつて稚蚕飼育が行われていたのではないかとのことです。
建物内を覗いてみると、見たことのない小部屋のようなものが!?
建物の中に入ると、いくつかの小部屋があります。
小部屋の外側から見ると、小部屋の真下に穴のようなスペースもあります。
土間下に見られるスペース
これまで「カイコって何だろう?!」シリーズにおいて金屋稚蚕共同飼育所や他の養蚕農家で見学させていただいたものと、全く違います... これはいったい何なのでしょうか?
学芸員によると、ここでは土室育(どむろいく)と呼ばれる飼育法がとられていたのではないかとのことでした。
土壁で造られた小部屋が横に連なった構造になっており、この小部屋のことを「土室(どむろ)」「室(むろ)」と呼ぶそうです。土壁とは、土に藁や砂を混ぜ、それを塗り固めた壁のことです。土壁は空気中の湿度調整機能に優れているため、稚蚕に適していたのですね。
各室の床は手前の土間より少し掘り下げられています。この穴のようなスペースに火鉢を入れることで蚕を飼育する室を加温していたようです。扉を閉めれば室内の気温を一定に保つことができます。土室育は、エアコンがない時代に温度変化に弱い稚蚕(1齢から3齢までの蚕)を飼育する上で、気温をコントロールするために極めて重要な発明だったのではないでしょうか。
扉を開くと、夏は涼しく冬は暖かい性質をもつ土壁が。
日本の気候にあった土壁ですが、現在では目にする機会も少なくなってきました。
扉に取り付けてある板をスライドすれば、室内にいる蚕の様子を見ることができます。
次に母屋を見せていただきました。
玄関を上がると、何やら天井には隠し階段のようなものが...
養蚕を辞めて以来、何年も使用していないという階段。
この階段は、天井裏で蚕に桑を与える際に使用されたそうです。階段を上った後、天井の上から階段を閉じて部屋を密閉することで、気温や湿度を管理することができます。
一見すると天井の一部のように見えるので、 教えてもらわなければ階段とは気付きそうにありません。この階段を利用して、養蚕が天井裏で行われていたとは驚きです! 養蚕文化に触れたことがほとんどない筆者のような若者世代にとっては、まるで忍者屋敷に入り込んでしまったように感じられました。
最後に見せて頂いたのは、母屋の向かい側の建物。今では物置になっています。
ここで、かつて泊まり込みで稚蚕の世話が行われていたのかも?
学芸員によると、ここは養蚕の手伝いのため、遠くから来た労働者が寝泊りして稚蚕飼育していた場所ではないかとのことです。
集まった労働者は、ここで当番制で蚕の世話や桑摘みをしつつ、泊まり込みの際に仲間と談笑したり、交流を深めていたのでしょうか? 想像が膨らみますね。
戸矢さんのご両親が養蚕業を辞めてから歳月を経た今でも、かつて桑畑だった場所に1本の桑が見られます。
これは、戸矢家がかつて養蚕業を営んでいた"証"として、戸矢さんのお父様が残しておいたものだそうです。
戸矢さんのお父様が、かつて養蚕業を営んでいた"証"として残したという桑。
お父様の記憶を、私たちに物語ってくれているようです。
戸矢さんのご両親は、どのような心境で養蚕業を辞め、1本の桑を残したのでしょうか。自分たちが育ててきた蚕、そして共に汗水流して養蚕業に携わった人々への愛情があったからこそ、思い出の桑として残したのかもしれないですね。
たくさんの白い蚕がコソコソと動き回る光景、蚕が桑の葉を食べるときに聞こえるザワザワとした音、触ったときのひんやりとした感覚、青臭いにおい、そして皆で声を掛け合い蚕のために走り回り働いた記憶... 戸矢さんのお父様は、養蚕の象徴である桑を眺めて、養蚕が盛んだった時代の思い出に浸っていたのかもしれません。
父が残した1本の桑。
「この桑を蚕が食べ、成長し、繭を作った。そしてその繭は、養蚕業を支えた労働者がいたからこそ価値あるものになり、今の戸矢家をつくったんだ。」
今でもこの桑を眺めてみれば、そんな戸矢さんのお父様の声が聞こえてくるような気がします。
今回の取材で、戸矢家の養蚕の歴史や、戸矢さんのご両親の養蚕に対する思いを垣間見ることができました。貴重な建物を見学させていただいたことで、より深く児玉地域の養蚕文化に触れることができました。
蚕という小さな虫によって栄えた戸矢家。そこには養蚕への記憶が残されているのでした。
改めてこのような機会をいただきました戸矢晃一さんに感謝申し上げます。また、養蚕技術等詳しく解説していただいた上里町立郷土資料館の学芸員のみなさま、ご協力ありがとうございました。
※本記事は、今回特別に戸矢さんに許可をいただき個人のお宅を取材させていただいたものです。
許可なく撮影・立ち入りなさいませんよう、お願い致します。
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