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掲載日:2022年8月30日
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未来をより素敵なものにしようとチャレンジし続ける埼玉県の起業家や起業家スピリット溢れる経営者の方々にお話を伺うインタビュー特集「想いをカタチに」。
第7回は、世界的なウイスキーコンテスト「ワールド・ウイスキー・アワード」において、2年連続で世界最高賞※を受賞した、株式会社ベンチャーウイスキー 代表取締役社長 肥土 伊知郎(あくといちろう) さんです。
(※2017年シングルカスクシングルモルトウイスキー部門、2018年ブレンデッドウイスキー・リミテッドリリース部門)
さて、肥土伊知郎さん流「明日を拓く」ヒントとは?さっそく読んでみて!
★インタビューは平成30年4月に行ったものです。
――肥土さんが、ウイスキー造りを始めようとしたきっかけを教えてください。
私の生まれた家は、江戸時代に遡るつくり酒屋で、日本酒のほか、ワインや焼酎、そして、ウイスキーを製造していました。ところが、私が家業に就いた頃には、経営状況が厳しくなっており、残念ながら2004年には会社を手放すことになってしまいました。
新しいオーナーは、熟成に長期間を要するウイスキーづくりには全く興味がなく「樽の引き取り手がなければ処分する」と、ウイスキー部門が切り捨てられることが決定されました。20年近く熟成を重ねていた原酒もあり、私は「20歳直前の子どもを見捨てることはできない」という強い気持ちに駆られ、必死に樽の預け先を探しました。この想いが郡山の酒造会社に届き、樽を預かってもらえることになりました。私は、そのウイスキーを世の中に出すために「ベンチャーウイスキー」を創業したのです。
「世の中に売りたい」という熱意はあっても、全く無名のブランドでしたから、酒屋さんにおいてもらっても、売れずに埃をかぶってしまいます。ですので、ブランドではなく、味で評価してくれる人にアピールしないとだめだと思い、味で評価をしてくれる「バー」で扱ってもらうことを目指しました。
それからは、2年間かけてほとんど毎日、当社のウイスキーを抱えて、3軒から5軒のバーを巡りました。バーテンダーさんに、ウイスキーの味を高く評価してもらい、口コミで少しずつファンを増やすことができました。でも、受け継いだ原酒を売っているだけでは、いつかはなくなってしまいます。ウイスキーを「造る」ために、蒸溜所を立ち上げることを決心しました。
――蒸溜所はどこに作ったのですか。
生まれ故郷である「秩父」、応援してくれる人、手を貸してくれる人がいる「秩父」に蒸溜所を立ち上げたいと思いました。もともと、江戸時代から日本酒を造っていたので、酒造りに適した環境だということもわかっていました。そして、秩父にある、県の工業団地を借りて、蒸溜所を設立したのです。設立に当たって、一つエピソードがあります。
当時、県の企業局に「土地を借りたい」と連絡をしたところ、県の担当者が一人で私に会いに来ました。説明をしたら、「わかりました」と帰ったのですが、間もなく、今度は、上司の人と二人で来ました。私は全く同じ話をして、同じように「わかりました」と帰っていきました。その後、担当者から「会議に諮りましたが、結論が出ませんでした。県庁に説明に来てください。」と言われ、県庁でプレゼンテーションを行いました。それでようやく、県から土地を借りることについて「OK」が出ました。私は、「県から土地を借りるというのは大変なんだなあ。」と、のんびりと思ったのですが、実は「大変」どころではなかったそうです。
最初に来た担当者は、「実績のないベンチャー企業には貸せない」と、断りに来たということでした。ところが、「ウイスキーを造りたい」という私の想いに共感してくれたのか、断れず、その後一緒に来た上司の人も、「やらせてあげたい」と言ってくれて、最終的に土地を貸すことを認めてくれたそうです。そのことを、土地の引き渡しの時に、教えてくれました。担当者には、「結構、頑張ったから、社史を書く時には載せてね」と言われました(笑)お蔭で、設立当初のコストを下げることができて、非常に助かりました。
[蒸溜所の外観]
――創業時に支えてくれた人はいましたか。
当社の第1号社員は、押し掛けでやってきました。蒸溜所が、影も形もない、2006年のことです。ウイスキーが大好きな、大学4年の女子生徒でした。「ベンチャーウイスキーで仕事がしたい」と何度も連絡をくれました。当社は創業したばかりで、従業員を雇えるような状況ではなかったため断っていたのですが、めげずに、「だったら、こういうお手伝いができる」とか、「給料はいりません」とか。今、そのことを本人に言うと、「いや、それは昔のことですから」と、言いますけどね(笑)それぐらい熱心に言ってくれたのです。翌年の2007年に、秩父の工業団地を借りることができて、晴れて4月1日に、たった一人の新入社員として入社してくれました。
「なんで、そんなにウイスキーが好きだったの?」と聞いたら、失恋でウイスキーをやけ酒で飲んだら、それがすごく美味しかったそうです(笑)。いろいろな人に支えてもらいましたが、従業員がそうやって支えてくれたっていうのは大きかったですね。
今年は6人も採用しましたので、半分ぐらいは辞退があるかなと思ったんですけれども(笑)、みんな入ってきてくれましたので、従業員の想いに答えるためにも、これからも頑張っていきます。
また、創業・ベンチャー支援センターに相談できたことも、創業時に支えになりました。会社を立ち上げるということは、ウイスキー造りだけではなく、それ以外のあまり興味がないこともやらなければいけない。そのような中で、創業についての様々なことを一箇所でアドバイスしてもらえたことは、ありがたかったなあと思いますね。
[肥土社長と従業員の皆さん]
[ミズナラ材の発酵槽]
[味の決め手となる蒸溜器]
[樽の熟成]
――今後の夢を教えてもらえますか?
秩父で造った30年物のウイスキーを飲むということです。そこまで会社を存続させなければいけないということもありますので、とても重要な夢です。
そして、もう1つの夢は、原料から樽まで、全て地元秩父の材料を使ったウイスキーを造るということです。ウイスキーの原料である穀物は、海外から原料を購入するというのが普通です。でも、もし、地元の大麦を使ったウイスキー造りができたら、これはまた新たに魅力的な商品ができると思うのです。ですから、今は、地元の農家さんにお願いをして、大麦を作ってもらっています。それを仕込みにも使い始めています。
また、当社の樽工場では、北海道産のミズナラという木材を使っています。オリエンタルな香りがするミズナラは、ウイスキーの樽の材料として、世界中から注目されています。実は、ここ秩父にもミズナラの群生林があり、年内には秩父産のミズナラを使った樽が出来上がる予定です。そうすると原料からたるまで、地元の材料を使ったウイスキーができます。たぶん世界にそんなところはないんじゃないかと思っています。秩父というのはウイスキーづくりに、ここまで適した場所だったのかと、改めて思っているところです。原料から樽まで、秩父の材料を使ったウイスキーをつくる、そしてそれを世界中の人に味わっていただく、それが私のもう1つの夢です。
インタビューはいかがでしたか?熱意をもって、周りを味方にしながら夢に挑戦していく。何かしたいことのある人、チャレンジしてみたいことのある人にとっては、背中を押してくれる言葉の宝庫だったのではないでしょうか。
創業・ベンチャー支援センター埼玉は、これから創業をお考えの方、創業後の方、新たな事業展開を目指す企業の皆様をサポートする機関です。女性起業支援ルーム「COCOオフィス」の運営も行っています。
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