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掲載日:2020年7月7日
Q 石井平夫議員(自民)
かつて見沼は、江戸時代の初めのころは雨が降ると広がり、乾季には狭くなるといった沼でした。徳川家康は江戸町民の食料確保や幕府財政の立て直し、経済の安定化などにより新田開発の促進を伊奈忠治に命じました。忠治は、この沼の水を水田用水とするために、木曽呂村、附島村の間に約900メートルの堤を造り、八丁堤と呼びました。このおかげで、周囲40数キロメートルに整備面積1,200ヘクタールの大きな見沼溜井ができました。それにより、旧浦和市から東京都・足立区まで約5,000ヘクタールの地域をかんがいさせました。
それから100年後、徳川吉宗が8代将軍になったとき、徳川の財政は極端に悪く、財政立て直しのため新田開発を更に進め、紀伊国から井沢弥惣兵衛為永を江戸に呼び、見沼溜井を水田に干拓し、代わりの水は利根川から引き、それを見沼代用水としました。見沼の東、西の台地の渕に水を流し、流域の村々の田を潤しました。4の用水に囲まれた内側には約1,200ヘクタールの新しい田がつくられ、用水路外側の村々や以前のかんがいしていた下流の浦和領、戸田領、平柳領、赤山領、安行領、舎人領などを含み、かんがい面積は15,000ヘクタールを超える面積となりました。
さきの大戦には、復興の食料増産に見沼代用水は大きな役目を果たしました。しかし、日本の経済成長とともに東京圏の発展は目覚ましく、県南部の農地は工場や宅地用地などに転用され、わずかな点在用地や水路が残る地域や全く農地がない地域もあり、かつて水田の開発による面影を変え、農業用水路の役割も大きく変わりました。現在、県南部の下流においては生活雑排水が入り、下水化しています。特に、蕨市では市内全体が市街化区域となっています。昭和45年4月に当時の相川旧浦和市長をはじめ、15市町の首長による覚書には、都市排水は農業用水に注入しないものとし、市街化の進展に伴い、受益地の減少等により土地改良区が施設を維持管理することが困難となった場合には、市町と土地改良区の管理主体の交代及び債券・債務の処理等について協議するものとするとありますが、こうした状況に対して県としてはどのようなお考えなのか、農林部長にお伺いします。
A 篠崎 豊 農林部長
見沼代用水路は、行田市から草加市までの17市町(しまち)にわたる約8,000ヘクタールの広大な農地を潤す、本県を代表する用水路でございます。
これらの農地では、水稲を中心に地域の特産物であるサトイモやクワイなどが生産されており、用水路を管理する見沼代用水土地改良区は施設の適切な維持管理を通じ、地域の農業を支えています。
しかし近年、都市化の進展に伴い、農地の減少や周辺環境の変化が生じており、土地改良区では施設の維持管理に苦慮していると伺っております。
県といたしましては、生産に携わる農家の方々に不利益が生じないよう、施設の整備や水量の確保など土地改良区を支援してまいります。
また、議員お話しの昭和45年に当時の見沼土地改良区と関係市町の間で、施設管理主体の交代や都市排水路の取扱い等について必要に応じ協議を行うとの覚書が交わされていることは承知をしております。
まずは、覚書に基づいて土地改良区と関係市町の間で十分な協議・調整がなされるべきと考えておりますが、県といたしましても、必要に応じ関係者に働きかけを行ってまいります。
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