トップページ > 県政情報・統計 > 県概要 > 組織案内 > 企画財政部 > 企画財政部の地域機関 > 北部地域振興センター本庄事務所 > 地域めぐりレポート(桜花さんレポート) > 競進社模範蚕室(本庄市)桜花さんレポート!
ページ番号:183875
掲載日:2024年6月27日
ここから本文です。
この記事は、2021年7月に掲載した記事です。
本庄市児玉町にある競進社模範蚕室に行ってきました。競進社というのは明治時代に養蚕を改良し、その技術を伝えるために作られた組織の名前、蚕室とは、お蚕さんを飼うための建物のことだそうです。つまり競進社模範蚕室というのは、競進社が作った他の模範となるような蚕室という意味で呼ばれているそうです。競進社模範蚕室の創設者は木村九蔵(きむらくぞう)先生。建物の前には木村九蔵先生の像も立っています。凛としたお顔で、来た人を見つめてくださっているようでした。本庄市児玉町金屋にある児玉白楊高校は、この養蚕学校が元になったそうです。
今回は本庄市文化財保護課の野口さんにお話を伺いました。
(本庄市文化財保護課久米主査 桜花さん 本庄市文化財保護課野口さん)
皆さんはお蚕さんを生で見たことがありますか??私は今回初めてお蚕さんを知りました。簡単に言えば、白いイモムシ。養蚕農家は、児玉地域だけでも2000軒以上あったそうです!!
今では数軒になってしまったそうですが、私の曾祖父、曾祖母も養蚕をやっていました。母から「曾祖父から1匹もらってお蚕さんを飼っていたことがある」と聞きました。 私の住んでいる美里町には、昔、お蚕さんが食べるための桑畑がたくさんあったそうです。前回のレポート時にご紹介した美里町のブルーベリー農家さんが、ブルーベリーを植える前は桑畑だったと話していたことを思い出しました。(記事はこちらからご覧ください。)
お蚕さんは繭を作り、その繭から生糸をとります。繭を作る前にお蚕さんも透き通った色になるので、繭を作るタイミングがわかるそうです!!お蚕さん(幼虫)→蛹(繭)といった成長過程ですが、繭の中で蛹になったお蚕さんは、繭から出る時に糸を溶かして穴を開けてしまうそうです。1本の糸で繭は出来ているため、繭を溶かされてしまうときれいにつむぐことができなくなってしまいます。そこで、蛹は繭から出る前に御役御免といった形になってしまうそうです。
(かわいそうですが繭から糸をはがすために繭を鍋で煮てしまいます。)
高窓を中から見た様子
二重障子のある廊下
蚕棚
競進社養蚕室の建物は埼玉県の有形文化財になっているそうです。 お蚕さんのためだけに作ったお家みたいです。温度や湿度を調節するために火鉢(炭火の火力で部屋の湿気を調節する)や二重障子(直射日光の対処など)が設置されており細部に渡って、お蚕さんが快適に過ごせるような工夫がしてあることも知りました。
そして、屋根には4つの高窓❕❕このようなお家があるのも今ではめずらしいようです。高窓は一部屋に1つずつついていて、空気を循環させるようになっています。こちらもお蚕さんが快適に過ごせる工夫です。
また施設は見学無料で広い駐車場も完備。バスなども止められるくらい広かったので、学生の社会科見学に最適だなぁと思いました!!
トイレも外にある東屋(休憩所)もとてもキレイです。近くにある和菓子屋、『くろさわ』の酒まん(100円)をたべながらのんびりする。私のおすすめです!!笑
養蚕で使用された道具が展示されています。
そして美里町には「秋蚕(しゅうさん)の碑」という石碑があります。「秋蚕の碑」は、秋蚕普及が地域に与えた影響を後世に伝える石碑として建てられました。
当時、春だけしかできなかった養蚕を、美里村(現在の美里町)に住む深澤豊次郎が秋も養蚕ができるように取り組み、養蚕の発展に寄与したと伝えられています。 碑文を書いたのはお隣の群馬県にある富岡製糸場の工場長を務めた尾高惇忠(おだかじゅんちゅう・渋沢栄一の従兄弟)です。
世界遺産にもなった富岡製糸場、高山社跡(木村九蔵先生のお兄さんである高山長五郎が作った蚕の学校)、蚕の卵を貯蔵しておく荒船風穴にも行ってみたいなと思いました!!
私自身、今回のレポートはとても新鮮でした。学校では習えないことを教えていただいたので、これから皆さんにそんな情報をたくさん発信していけたらなと思います❕❕
「小さいころ家の敷地や家の中で蚕を飼っていた」というお話を本庄市や美里町の方にうかがい、養蚕が身近にあった地域だったのだと実感しました。競進社模範蚕室の他にも本庄市には繭を保管する倉庫として明治時代に建築された旧本庄商業銀行煉瓦倉庫があります。現在は展示スペースや多目的ホールをそなえた市民の交流の場として利用されています。 また、利根川をはさんで群馬県にも富岡製糸場をはじめ、たくさんの絹関連遺産が残されています。競進社を作った木村九蔵は群馬県の高山村(現在の藤岡市)に生まれ、児玉郡新宿村(現在の神川町)の木村家の後継者となり競進社を創設、兄の長五郎は高山社を創設。 群馬県の富岡製糸場の設立には深谷市出身の渋沢栄一や尾高惇忠(おだかじゅんちゅう)、韮塚直次郎などが様々な形で尽力しました。 来年にはNHKの大河ドラマ「青天を衝け」で渋沢栄一が取り上げられます。ドラマでは栄一の従兄弟であり学問の師でもあった尾高惇忠も登場します。渋沢栄一が活躍した明治時代、その頃の本庄児玉地域の様子を想像しながら観るのも楽しいかもしれません。 今回の地域めぐりレポートの様子が、本庄ケーブルテレビで放送される「TAONの令和マンデープレミアム」10月12日(月曜日)(午後 8時~9時10分)の番組内で紹介されます。 |
お問い合わせ
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください