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掲載日:2024年9月17日
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北方領土とは、日本の北東端に位置する歯舞群島(はぼまいぐんとう)、色丹島(しこたんとう)、国後島(くなしりとう)、択捉島(えとろふとう)を言います。
歯舞群島は、北海道根室半島の納沙布岬(のさっぷみさき)の沖合3.7kmから北東方に点在する小島嶼、すなわち貝殻島(かいがらじま)、水晶島(すいしょうとう)、秋勇留島(あきゆりとう)、勇留島(ゆりとう)、志発島(しぼつとう)、多楽島(たらくとう)等の島々から成っています。
色丹島は、歯舞群島の北東方22kmに位置しています。
歯舞群島と色丹島は、大昔、根室半島と地続きでしたが、土地の陥没などによって離れ島になったといわれています。
国後島は、根室半島と知床半島との中間、北海道本島の沖合16kmの地点から北東方に位置する全長122kmの島です。
択捉島は、国後島の北東方22.5kmに位置する全長204kmの島です。
これら北方四島のなかで面積が最も広いのは、択捉島の3,167平方キロメートル。国後島の1,489平方キロメートル、色丹島の249平方キロメートル、歯舞群島志発島の58平方キロメートルと続き、北方領土の総面積は5,003平方キロメートルです。
根室半島の納沙布岬からの距離は、一番短い歯舞群島の貝殻時までわずか3.7kmしかありません。最も遠い択捉島でも144.5kmで、八丈島と本土との距離よりも近いのです。
島名 |
面積(平方キロメートル) |
距離(km) |
---|---|---|
歯舞群島(貝殻島) |
- |
3.7 |
歯舞群島(水晶島) |
12.1 |
7.0 |
歯舞群島(秋勇留島) |
2.1 |
13.7 |
歯舞群島(勇留島) |
9.9 |
16.6 |
歯舞群島(志発島) |
58.3 |
25.5 |
歯舞群島(多楽島) |
10.9 |
45.5 |
色丹島 |
248.9 |
73.3 |
国後島 |
1,489.3 |
16.0 |
択捉島 |
3,166.6 |
144.5 |
計 |
5,003.1 |
|
※平成26年国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」等より。面積は周辺の小島を含めたもので、距離は根室半島の納沙布岬からのもの(国後島のみ野付半島からのもの)。
北方領土の東側は太平洋に、西側はオホーツク海に面しています。この海域は、暖流の日本海流(黒潮)と寒流の千島海流(親潮)が接しているところなので、季節によって、気候に大きな影響を与えます。
気温は、海洋気象の影響を受けて寒暑の差が緩慢で、冬でも寒さはそう厳しくありません。冬の平均気温は、零下5度か6度くらいで、根室地方とほぼ同じくらいです。しかし、夏の気温が月平均10度以上にのぼるのは6月から10月までで、8月でさえ平均16度くらいです。
北方領土の近海は、親潮(千島海流)と、黒潮(日本海流)がぶつかりあい、世界の3大漁場のひとつに数えられる魚の宝庫です。サケ、マス、ニシン、カニ、エビ、貝など寒流系の魚介類が多く住んでいます。また、これらの魚介類をえさとするトドをはじめ、オットセイ、アザラシなどの海のけものもたくさんいます。
北方領土の島々には、北海道本島でも多く見られるキタキツネ、ヒグマ、クロテン、エゾライチョウ、クマゲラなどのけものや鳥が住んでいるほか、カムチャッカ半島で繁殖した渡り鳥の通り道にあたるため、オジロワシ、エトピリカ、ウトウなどの珍しい鳥も見ることができます。
北方領土をはじめとする千島列島の主な産業は漁業でした。住民の大部分は、漁業とこれにつながりのある仕事をして生活していました。終戦時、北方四島に住んでいた人は3,124世帯17,291人でした。職業は漁業が一番多く、その他公務員、商業、鉱工業、運送業などでした。
漁期には、根室や函館・本州方面から5,000人以上の出稼ぎの人々が来たので、著しく人口が増加しました。
島名 |
世帯数 |
人口 |
---|---|---|
歯舞群島(水晶島) |
154 |
986人 |
歯舞群島(秋勇留島) |
14 |
88人 |
歯舞群島(勇留島) |
79 |
501人 |
歯舞群島(志発島) |
374 |
2,249人 |
歯舞群島(多楽島) |
231 |
1,457人 |
色丹島 |
206 |
1,038人 |
国後島(泊村) |
894 |
4,864人 |
国後島(留夜別村) |
433 |
2,500人 |
択捉島(留別村) |
424 |
2,258人 |
択捉島(紗那村) |
226 |
1,001人 |
択捉島(蘂取村) |
89 |
349人 |
計 |
3,124 |
17,291人 |
島名 |
2015年現在 |
2016年現在 |
---|---|---|
色丹島 |
5,906人 |
5,934人 |
国後島 |
7,916人 |
7,817人 |
択捉島 |
3,006人 |
2,917人 |
計 |
16,828人 |
16,668人 |
※ロシアの統計より。統計上、歯舞群島に居住者はいません。
島の住民のほとんどは、小規模な漁業を営んでいました。多くははじめは漁業経営者に雇われてきたものですが、やがて独立し、郷里から家族を呼び寄せて住みつくようになりました。住宅は、ほとんど木造、柾(まさ)屋根の平屋造りで小さなものでした。
島での生活では、学校や倉庫などを会場にした巡回映画や学芸会・運動会などが喜ばれました。ラジオやレコードなどが娯楽として楽しまれ、年に一度のお祭りは、村じゅうをあげてたいへんにぎやかに行なわれました。
生活に必要な物の大部分は、船で運ばれていたため、暴風や流氷の時期には航海ができなくなり、たいへん困りました。
一番の問題は急病人やけが人が出たときです。医者や病院などはきわめて少なく、設備も整っていませんでした。重病人は、根室や函館に送られました。
色丹島の運動会の様子
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