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掲載日:2023年12月12日
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回復期に入ったといわれる日本経済ではありますが、長びく石油不安や、物価高騰、国地方財政の硬直化等々、現下の社会経済環境は極めて厳しい状況であります。こうした中で、地理的に東京都に隣接している本県は、社会的にも大きな影響を受けており、なかでも人工の急激な増加に伴う住宅地等の開発が、ともすれば秩序ある都市計画を困難なものにし、住みよい環境づくりや、有効な土地利用に混乱をもたらしております。こうした事態に対処するためには、自然的立地条件を前提とした土地の有効利用を図る必要があります。
この度、関係各位のご協力のもとに「古河」(埼玉県内)図幅の土地分類基本調査が完成いたしましたが、こうした資料こそ県土の自然環境の保全と、秩序ある発展のために十分役立たせ、有意義に活用されることを希望するものであります。
昭和54年12月
埼玉県企画財政部長関根秋夫
調査の実施、成果の作製機関及び担当者は次のとおりである。
調査項目 |
作業機関及び担当者 |
---|---|
地形分類調査 表層地質調査 傾斜区分調査 水系・谷密度調査 土地利用現況調査 |
埼玉大学教育学部文部教官松丸国照(※) 埼玉県立教育センター指導主事(兼)理学研究室長須藤和人 埼玉県立越谷南高等学校教諭林明 埼玉県立大宮武蔵野高等学校教諭大沢今朝男 坂戸市北坂戸小学校教諭大附邦男 |
土壌調査 |
埼玉県農業試験場化学部長鈴木清司 〃主任研究員秋本俊夫 〃林業試験場次長野本静男 |
利水現況調査 |
〃農耕部耕地計画課主任長野敦年 〃土木部河川課技師柳四郎 〃衛生部環境衛生課技師保科弘 |
防災調査 |
〃土木部河川課技師柳四郎 |
総括 |
〃企画財政部土地対策課課長堀口仁之 〃課長補佐斉藤善三 〃係長細田吉久 〃主任池谷清 |
※代表者
位置「古河」図幅は関東平野の内陸部、埼玉県の北東に位置し、栃木県、群馬県、埼玉県、茨城県の各一部を包含する。経緯度は東経139゜-30'~139゜-45'、北緯36゜-10'~36゜-20'の範囲であって、図幅内の県内面積は57.98平方キロメートルである。
行政区画「古河」図幅内の県内行政区画は、行田市、羽生市、加須市、及び北埼玉郡北川辺町の各一部区域よりなる3市1町である。
本県の人口は、昭和54年2月1日の推計値5,240,163人となり、昭和50年10月1日国勢調査4,821,349人以降3年4か月で、418,814人増加した。このような人口増加の原因について見ると、本県の地理的、社会経済的要因を背景として、住宅地の進出、工業団地の造成等による社会人口の増加が主導となっている。
1自然的条件
(1)地勢
「古河」図幅内の県内分は南西の一部57.98平方キロメートルの地域で、北は東流する利根川と、輪中地帯を形成する北川辺町において谷田川を境として群馬県に接し、東は南流する渡良瀬川を境として茨城県に接している。北部利根川沿いに自然堤防が存在しているほかは、利根川低地に属する水田地帯が連なっており、利根川を水源とする用水に恵まれた、県北東部の穀倉地帯を形成している。
(2)気象
本県の気象は、いわゆる表日本型で、冬は乾燥して晴天が多く、日中北西季節風が強く吹き、夜から朝にかけての冷え込みが激しい。夏は南東の季節風は弱く、日中の最高気温はかなり高くなりむし暑く、夕方雷雨が多い。
平野部では9月に最も雨が多く(山地では雷雨のため8月に最も多い。)年降雨量は1,400mmくらいである。気温は平野部で14℃(年平均)くらいで山地では海抜100mにつき0.5℃ずつ低くなっている。
(3)気象災害
本県の気象災害は夏を中心に発生し、10月から3月までは非常に少なくなっている。発生する度数の最も多いのは雷雨によるもので、全災害の半数に近い。そのうち半数くらいは降ひょうを伴っての被害である。しかし災害高からいえば台風による風水害が全災害の80%くらいをしめることになる。本県では凍災害も重大な災害となっている。
2経済社会条件
(1)道路
図幅内県内分は南西の一部であるが、都心から東北地方を結ぶ主要国道は東北自動車道が走り、主要県道としては羽生外野栗橋線、古河加須線が東西方向に走っている。
(2)鉄道
図幅内県内分については東武鉄道伊勢崎線、日光線が南北に、秩父鉄道熊谷羽生線が一部ではあるが、東西に走っている。
3就業人口
県内の産業別人口の比率は県南地域の住宅地化、工場地化の影響を強く受けて農業従事者が減少したことが要因となり、第1次産業人口率が低下して第2次及び第3次産業の進展が著しい。
この地域においても徐々ではあるが、同様の傾向を示している。市町村の産業別人口の構成は次表のとおりである。
4土地利用
本県における土地利用の状況は、人口増加にともなう宅地需要と経済社会的要因による工場地等の必要から農地の転用をうながしており、かい廃農地の面積は毎年約1,500haにのぼっており、その用途別指向をみると昭和35年には全県として住宅用地と工場用地が相半ばして約80%を占めていたが、住宅用地が漸増し、昭和47年以降は5対1の比率となり、工場用地の大幅な落ち込みをみせている。
地域的にみると市部では大規模工場の進出や住宅団地の建設等が顕著となっており、かい廃面積が大きく、町村部では交通至便の一部を除いては、分家の宅地化あるいは農業用施設が主となった自律的なものが多い。また県南部から外延的に拡大する都市化の傾向を受けた地価の高騰が、地域の土地利用体系に影響を及ぼしている。その状況は次表のとおりである。
1農業
都心から55~60km圏に位置する本地域の農業は、農用地の91%を水田が占めているため、稲作に依存する現状である。このため、現在も稲作への志向が強く、これと結びついた施設園芸(きゅうり、なす、いちご)、養豚等の複合経営が行われて、団地化、組織化が意欲的に推進され、立地条件も生かされつつある。
しかしながら、一部の地域では都市化による影響を受けて、農地のかい廃、農業労働力の流出、営農意欲の低下など農業の発展に好ましくない現象も生じつつある。
昭和51年度における農業生産額、生産農業所得は次表の通りである。
2商業
各市町村別の商圏は行政単位別に、あるいは鉄道、道路によって形成されているが、伝統的なローカル色の強い商圏が形成されている。
3工業
工業の立地状況は比較的少なく、行田市、羽生市、加須市における衣料産業が著名である。
本図幅(県内分)は東京より55~60kmの範囲にあり、都心からの交通もやや便利なことより、都市に集中する人口・産業の影響は大きく、従来自然環境に恵まれた主として農業地域であった本地域は、農業人口の減少と農地の転用を招き、土地の分散的虫喰い状態による混乱した宅地化が展開されている。
このため今後は、更に伸びることが予想される宅地化の現象をふまえ、自然環境の保全と地域の自然的、経済的、文化的条件との調和に配慮しつつ、生活環境と農業、商工業との均衡ある発展を図ることを目標に、計画的に土地の利用ができるようにしたい。これらの目標を達成するため、次の施策が昭和55~56年度に市町村土地利用計画として樹立されるので、今後は地域の調和のとれた開発が期待されている。
「古河」図幅地域は関東平野を横断する一級河川の利根川に至る一帯を占めている。本地域は北を群馬県下邑楽郡および栃木県下都賀郡と、東を茨城県古河市とそれぞれ接している。各県境は地形分類上でみれば、それぞれ利根川、谷田川支流および渡良瀬川の現河道におかれている。図幅内の最高所は羽生市上新郷野税場の26.4mの砂丘である。等高線上から地形全体を大観すれば、それぞれ上新郷西新田では20m、羽生市北耕地から西南西の上川俣にかけては17.5m、堤から西南西の羽生市街地にかけて、および堤から現在の利根川の河道を越える北川辺町飯積、されあに大利根町佐波にかけては15m、羽生市藤井下組から加須市堤崎方面の本図幅南部にかけては、13.8~12.8mである。北川辺町において、柳生新田の水田地帯は、旧河道と氾濫原にあたり、13mと低いが、谷田川および渡良瀬川の自然堤防地帯にあたる柳生、柏戸、向古河方面では20.2mと高い。その他は一般に18~15mの高まりが認められる。従って、本図幅は全体として起伏量の小さな平坦な地形と言える。作業規程に従って作成した北東一南西方向の地形分類断面図でも地形の平坦性は明瞭である。
本図幅内の水系は主要河川の利根川が図幅の北縁にあって東へ流れる。一方、渡良瀬川が図幅の東縁にあって南へ流れている。谷田川は北から南へ流下し利根川に注ぎ、旧利根川の流路であった会の川は現利根川から分かれ、隣「鴻巣」図幅の加須市街地方面へ南下する。
低地は利根川の氾濫原によって形成された。西から東へ、会の川、葛西用水、正確な流路は人工的に変更されて不明であるが、“樋遣川”水系(現在は水田用水路に利用)などが、大地を浸食しつくし、蛇行経路を残し、そこに下記に述べるような加須低地・中川低地を形成した。また、北川辺地区では渡良瀬川・谷田川によって氾濫原低地、つまり渡良瀬川低地が形成された。
本図幅の地形上特筆すべきことは水系の有史前の歴史的変遷および地形の高度面の上から次のことが読みとれることである。つまり、傾斜区分図に入れた20m、17.5m、15mの等高線からみれば、利根川は羽生市別所から加須市大越を経て、大利根町間で各等高線に平行している。本来、河川は高所より低所に流下する動流であり、そこでは等高線間の最短距離を結ぶ区間に流れるはずである。従って、利根川は羽生市西新田付近の20mと、羽生市野税場付近の17.5mを結ぶ付近に主流向があり他の流向が自然堤防の上から大利根町佐波にあった。主流向の場は現在の会の川になっている。会の川は理想的にも、河畔砂丘の分布の上からも旧来の利根川の主要な流向であった。15m等高線に注目すれば、群馬県邑楽郡大高島より埼玉県加須市外野方面-大利根町佐波にかけては北西より南東にはり出した半島があった。利根川水系は半島南西側の羽生市、加須市を占めていたであろうし、渡良瀬川は半島北東側の邑楽郡海老瀬・北川辺町柳生・向古河を占めていたであろう。「古河」図幅の地形および表層地質両図幅には利根川および渡良瀬川主要2大河川の変遷史によって侵食され、ときには旧河道に河畔砂丘を堆積させた時間的・空間的経緯を示すことができる。本図幅の台地の分布地域は地形区分図で明らかなように、その輪郭は不規則な閉曲線になっている。各台地は地表面下10数m以内で互いに接続している。これら洪積層の堆積後、諸河川の侵食を受けたことは上述のとおりである。
本図幅は地形特性の上から分類単位を集合統一し、その地形性質によって地域性を示す上で後述の地形区を設定し、各名称を記した。地形区分は主として局地的性質、例えば地質、侵食営力などにみる関連要素、水系および台地の発達程度などの上から区分される。境界線はときに必ずしも明瞭でない所も存在する。分類は下記の如くである。
1台地
「古河」図幅の各台地は隣「鴻巣」図幅の北足立台地の東方にひらけた騎西台地群と渡良瀬川以東の古河台地間に位置する。しかも、本図幅内の各台地は会の川と谷田川の各蛇行間にあって、台地の長軸は西北西より東南東に伸びている。この方向は水系の一般流向と一致する。
1a羽生台地
本台地の西限は会の川、東限は中川(用水)により境されている。加須低地に周囲をかこまれた孤立状台地である。本台地は西部に羽生の市街地を発達させ、東西最大巾2.5km、南北最大巾2.2km(「鴻巣」図幅の部分も含む)に及ぶ。海抜高度は15~15.4m間にあって起伏に乏しく平坦性は極めて良好な台地である。台地表面は火山灰質黄褐色ローム層が上羽生で7m層厚、その下位に青色砂層が6m、粘土層が3mそれぞれ発達する。東武線羽生駅および羽生市柿木には暗褐色泥質二次ロームが存在する。
1b今泉台地
本台地は図幅内で最大の台地であり、東西最大巾5km、南北最大巾2kmに及ぶ。海抜高度は西北西の羽生市今泉西原で15m、今泉弥勒(みろく)で低く9.9m、東方の本村で14.7mである。従って、中央部がへこんだ緩いサドル型台地面を示す。台地表面は黄褐色のロームが発達し、台地周辺域の今泉前原および本村-柿ノ木間の低地には二次堆積ロームが知られる。
1c利根川台地群
北は利根川の氾濫原と境し、南は今泉台地間に発達する加須低地に臨み、隔離状散在的に孤立台地群を形成している。
本台地群は半ひゅうし下村君周辺、谷ヶ瀬周辺および加須市大越周辺にそれぞれ発達する。谷ヶ瀬の台地は東西巾1.3m、南北巾1.2kmに達し、本台地群の主部を占める。本台地群の表面は黄褐色のロームが発達する。
2低地
本低地を流れる諸河川は歴史時代に流路を何回も変えており、洪水害の度ごとに多くの自然堤防を作り、背後に後背湿地、湿地などを形成した。砂の運搬も多く、旧利根川流域界に砂丘を形成した。
2a加須低地
隣「高崎・深谷」図幅の熊谷低地から接続し、南東に開ける低地で東は大利根町で中川低地に接する。本低地の自然堤防の蛇行と分布の上から利根川の主流向は会の川に、他の流向は大利根町佐波から隣「鴻巣」図幅の鷲宮町へと南流している。つまり、本低地の東西には旧利根川の2大流向があり、現在は旧流路跡として名残をとどめている。両旧流路間には、諸台地が分布し、小自然堤防が西北西-東南東方向に長軸をもって発達している。湿地は今泉台地周辺域に分布し、加須市三田ヶ谷の湿地が最大で、東西巾は4km、南北巾は1.6kmである。ここは軟弱地盤となっている。
2b中川低地
加須低地から接続し、南東に開ける低地である。旧利根川(隣「鴻巣」図幅の島川-中川に接続)流路および氾濫原下で形成された低地であって、そこでの自然堤防はほぼ南北に長軸をもっている。「鴻巣」図幅では中川低地は南北方向に発展している。
2c渡良瀬低地(太曰川低地)
本低地は渡良瀬川および谷田川の流路によって形成された低地である。渡良瀬川は古河市南方の下流域では太曰川(現在の江戸川の前身)と呼ばれていた。従って、本低地は別名太曰川低地とも呼ばれる。本低地は埼玉県下では北川辺町全域を占める。
自然堤防は渡良瀬川・谷田川の蛇行によって形成され、明瞭なS字型の蛇行がみられる。自然堤防地帯は古くから集落が発達していた。自然堤防に沿っては旧流路跡が発達し、その背後には後背湿地が開け、水田地帯になっている。
3砂丘
3a新郷砂丘
本砂丘は会の川に沿って点在する砂丘の一番北限のものである。砂丘上には松林が繁り、下草もあって、被覆砂丘である。河道に沿う南北方向の長軸は直線で2kmに達する。砂丘は全体に淡褐色を呈し、粗粒石英を主成分に岩石砕屑物質からなる。石英・砕屑物質とも円磨されている。新郷砂丘は貴重な砂鉱物資源である。
(埼玉大学松丸国照)
文献
本調査地域は関東平野の中部にあたり、地質は立ち地に第四紀洪積(更新)世の関東ロームが、また、低地には第四紀沖積世の砂泥堆積物がそれぞれ広く発達している。沖積世の堆積物は各微地形の特性の上で複雑に変化し、それらは表層地質図に示されている。
本地域下の各試錐柱状図および記載を参照すれば、第四計が300m以上の厚さを示している。第四系の沖積統と洪積統との境界は、現地形の上では、台地縁辺部で不整合関係に両者がアバットしている。また、試錐柱状図では、標準貫入試験のN値10未満の軟硬の地質圧密状況下で両者が互いに不整合関係である。試錐間は柱状図内のN値、電気検層図、浮石-火山灰物質含有層準、ストレーナーの位置から互いに対比される。ここでは、本地域以南の「鴻巣」図幅内と同以西の「高崎・深谷」図幅内の各地域における試錐柱状図間において、大局的な概念で対比が試みられている。詳細な対比はコア試料の微化石分析・重鉱物分析を行う必要がある。本調査では、資料の検討を行ったが、コア試料の分析は研究中であり、まとまり次第公表を予定している。
試錐間の柱状図の研究から、地層の発達状態や各地層の厚さが検討された。例えば、羽生市上羽生から、加須市三田ヶ谷、北川辺町築道・北川辺町栄を経て、北川辺町駒馬にかけてのほぼ東西断面測線の-50m以浅地下断面をみると、上羽生の洪積銃に接して、沖積銃は三田ヶ谷で-15m、北川辺町で-21~-24mまで発達している。とりわけ、沖積銃の中位層準では三田ヶ谷で-7~-8m以深に厚さ2mの腐植土層があって、これは北川辺町では-12~-19m間に厚く堆積している。一方、洪積銃は羽生台地下-20~-21m付近にある層厚5mの礫層がほぼ水平に三田ヶ谷~北川辺町方面に発達している。従って、低地ではこの礫層が洪積銃の最上位層準のものとなり、N値は高く30~50となる。この礫層は埼玉層(上部層)のものである。
地域内に分布する地層およびボーリング・コア柱状図から地質層序は第1表のとおりである。
1未固結堆積物
未固結堆積物は低地に広く発達し、水平・垂直両方向に層相変化が著しい。低地の微地形には多様な砂泥質堆積物および腐植土層が分布する。羽生市下村君の集落の台地上には関東ローム上に未固結堆積物の表層腐植土層が発達している。これは利根川の氾濫原が下村君の台地上にも及んだことを示している。
1-1砂泥堆積物
本地域の砂泥堆積物は利根川の河道・氾濫原にあっては青灰色から暗褐灰色系の細~中粒、表層では粗粒の砂および泥質の混合する堆積物が堆積している。その層厚は各所で層相変化が著しいが、加須市外野から北川辺町築道の断面では5~6m程度である。その下位に中~粗粒砂層、加須市三田ヶ谷・中新田では腐食質泥層が発達する。一方、羽生市中宿から下宿にいたる会の川旧流路跡、加須市外野から大和町佐波および北川辺町の谷田川旧流路跡では、砂泥堆積物は褐灰色~暗灰色を呈し、細粒砂および泥質堆積物が発達している。この堆積物には腐食物が混入していることが一般的である。層厚は3~4mである。
1-2砂質堆積物
砂質堆積物は利根川・谷田川・渡良瀬川などの河畔地帯および旧河川の自然堤防においては表層に発達する。本層は利根川においては黄褐色を呈し、谷田川・渡良瀬川では灰色を呈する。本層は石英粒および岩石砕片粒を主構成物とする砂質堆積物からなり、砂は一般に分級淘汰が悪い。本層には表層腐植土層が発達していない。
一方、会の川・利根川支流域(例えば、羽生市本川俣・上村君)・谷田川・渡良瀬川の氾濫原域の後背湿地および旧河道の各一部では灰から青灰色を呈する細~細粒砂を主とする砂質堆積物が発達する。本層には表層腐植土層が発達しない。
1-3泥質堆積物
本堆積物は後背湿地および湿地に広範囲に発達する。後背湿地においては泥質堆積物は灰色を呈し、表層1m間には砂礫物質を殆ど持っていない。そこでは酸化沈殿物を持ち、壌質からときに強粘質となる。本層は加須市藤井・三田ヶ谷では層厚14~15m程度であり、所により、表層下2~6m間に砂層を、7~9m間に腐植土層を挿む挟有する。また、11~13m間にはところにより砂層が発達する。標準貫入試験から、砂層ではN値が20~25となり、泥質・粘度・腐植土層では殆ど30~80cmの沈下に対し、0~3回程度のN値が測定される。従って、後背湿地の大半が泥質堆積物からなるため、その相対密度は非常に軟らかいものとなる。
湿地では泥質堆積物は暗灰色を呈し、ヨシ・マコモなどの原型腐食体を含有する。酸化沈殿物があり、強粘質である。N値は0~1で地盤の性状は極めて軟らかい。層厚1.5~2mは原型腐食体を良く含むが、その下位6~7m間は茶灰色粘度が発達し、腐食物は不規則に混ざる程度となる。全体の層厚は7~8mである。
1-4砂丘堆積物
砂丘堆積物は利根川の旧流路跡の会の川旧河道および氾濫原跡にあって、羽生市大門から下宿に至るほぼ南北2.2km間に分布する。
本堆積物は、主として丸味を帯びた透明ときに半黄色半透明・粗粒の石英および丸味を帯びた粗粒暗青色の岩石細片から構成され、多量の砂として存在する。本堆積物は会の川が曲流し、かつ、流速の衰える運搬物質堆積の場で沈積し、形成されたもので、周囲の氾濫原の後背湿地に発達する泥質堆積物とは不調和である。
2火山性岩石
関東ローム
本層は羽生台地・今泉台地・利根川台地群上に分布する。各台地上には黄褐色を呈し、壌質から粘土質の土性を示すロームが広く発達する。羽生台地では本層は3m層厚をもち、その下位にローム質粘土が5m、砂層が5mと発達する。本層は下末吉面形成期相当の砂層、あるいは東京層最上位の砂層上位のものであり、その意味で武蔵野ロームに対比される。
利根川台地群上には、利根川の氾濫原下に浸った所もあり、台地上にはローム上位に表層腐植土層が1~2m発達している。
3半固結-固結堆積物
3-1シルト・砂(礫)の互層(東京層)
本層は関東ローム下位の地層で、羽生台地では層厚13~15mであり、下位へ5~6mの砂層・3mのシルト層・1~2mのローム質シルト層・2~3mのシルト層・2mの砂層となる。本層は羽生台地下で-20m付近に発達する埼玉層上部層最上位の礫層と接するが、整合・不整合の判定資料はなく、不明である。なお、本層は地表には露出しない。ボーリング資料で確認される。
東京層は「高崎・深谷」図幅の本庄台地下では、層厚11m程度よりはわずかに厚く、「熊谷」図幅の熊谷・荒川低地下での層厚12~26mよりは薄くなる傾向にある。本層のN値は関東ロームより高く、10~25である。
3-2粘土・シルト・砂礫の互層(埼玉層)
本層は東京層の下位に発達する。ボーリング資料によってのみ確認される地層であり、地表では露出していない、岩相および基底砂礫層の上から、上・中・下部各部層に分けられている。
羽生市新田の深井戸によれば、埼玉層上部層は層厚20~30m。上位より下位へ、砂層15~17m、粘土層10m、砂礫層20m(これは深掘ら、1970、のG3に相当するか?)。中部層は層厚40~50m。下位へ粘土層ないしシルト質礫層(新掘らのG4?)11~22m、砂層ときに粘土層8~10m、砂礫層13~21m。下部層はsk鍵層が上位にあって77~80mその下位に古利根層最上位層間に90~93mの粘土・シルト・砂礫層が発達する。sk層は下位へ、砂礫層(新掘らのG7?)10~18m、粘土主体でうすい砂礫をもつ層15m、砂礫層25~40mである。下部層下位の各層はシルトまじり礫層18~30m、粘土層27m、砂礫層11~15m、砂まじりシルト層16m、砂層4m、シルトまじり砂層13~14m。
本層の地史については化石の記載がないため不明であり、記述できない。しかし、隣「鴻巣」図幅では地史を詳述した。多分、本地域でも同様な地史のもとに地層の堆積が行われたであろう。
3-3シルト・砂礫の互層(古利根層)
本層は埼玉層の下位に発達するシルト・砂礫の互層からなる。羽生市新田の深井戸によれば、-284m以深に発達している。従って、路頭上の岩相確認はできない。
本層は下位へ砂礫相10m、粘土層5m、掘止深度300m間の砂層からなる。本層からは化石が確認されず、詳しい地史は考察されない。しかし、コアー対比の上で、本層は久喜GS-1鑿井(木野、1965)の第3帯水層下位の岩相に相当するだろう。後者は底生有孔出Rotaliapapillosaの知られる海成層である。森川(1970)によれば、古利根層はギユンツ・ミンデル間氷期期の屏風ヶ浦海進下の地層である。
(埼玉大学・松丸国照)
文献
図幅中、羽生、今泉台地、利根川台地群には、いずれも、風積性の黒ボク土壌が分布する。しかし、その面積は羽生台地でやや広い他は、いずれも小面積である。これら台地は低地との比高が小さく、今泉台地、利根川台地群では、台地上の表層は、河川堆積性の沖積土壌におおわれ、或いは、混入をうけた土壌が比較的大きな面積を占めている。
台地の利用形態は、畑、宅地の外、水田(陸田)となっている所もかなりある。また、林地土壌としてスギの人工造林地が、今泉台地の中央部に、小面積存在している。
低地土壌では、各低地の自然堤防には、おおむえ、壌質~砂質の、褐色低地土壌、灰色低地土壌が分布しており、畑、陸田、宅地利用が行われている。氾濫原に分布する土壌は、ほとんどが水田土壌であるが、過去の流路の変遷により、多種の土壌が入り組んでいる。概括的に見れば、加須低地では羽生台地周辺に、灰色低地土壌が多く、今泉台地周辺では、より低湿なグライ、黒泥、泥炭土壌が分布している。中川低地では灰色低地土壌が主体を占める。また、渡良瀬川低地では、灰色低地土壌とグライ土壌で、ほぼ2分されるが、旧流路跡などでは、壌質または砂質の強グライ土壌が散在している。
図幅左端近くの新郷砂丘地には、全層砂質な粗粒褐色低地土壌が分布している。
図幅中、明らかな人口改変地及び市街地等の見区分地は土壌統を設定せず、一括して区分した。
本図幅は10土壌統群、」22土壌統に区分された。
2土壌の細説
2-1台地の土壌
2-1-1黒ボク土壌
胄山統(kb)羽生台地、今泉台地、利根川台地群のいずれにも分布するが、面積は大きくない。風積性の火山灰土壌で、表土は黒褐色を呈し、腐植5~10%を含む。壌質であり、表層腐植層厚は50cm前後である。次層は褐色の漸移層であるが、厚さは不安定であり、この層を欠く場合もある。下層には黄褐色の火山灰心土があり粘質である。畑及び宅地となっている。
2-2低地の土壌
2-2-1褐色低地土壌
新戒統(Si)各低地の自然堤防に散在するが、本図幅での分布は広くない。土性は壌質で、腐植含量3%以下である。土色は表土で褐色、下層で褐~黄褐となり、全層に酸化沈積物は認められず、比較的乾性な条件下にある土壌である。耕地として、畑利用され、生産力は高い。
2-2-2細粒灰色低地土壌
平塚統(Htu)加須低地で羽生、今泉両台地間の後背湿地に小面積分布する。表土、次層とも強粘な土壌からなり、腐植含量3%以下、黄灰色で明るく、全層酸化沈積物に富む。柱状構造が発達し、代表的な乾田としての断面形態をもっている。裏作は可能であり、生産力は高い。
下樋遣川統(shy)中川低地の自然堤防に分布する。表土、次層とも強粘質である。土色は黄褐で、構造の発達は明瞭でない。隣接水田との比高はほとんどなく、畑または陸田として利用されている。
2-2-3灰色低地土壌
内野統(Uc)今泉台地上で、谷地田との境に、小面積存在する。スギの人工林の土壌である。全層にわたり比較的水分に恵まれた土壌で、表層は1cm程度のH層がある。層位は、30~50cmのかなり厚い黒褐色~暗褐色のA層から、黄褐色のB層へ漸変し、下部まで腐植の浸透がみられる。A層は軟質であるが、B層はかなり固い。下層では、火山灰性の黒褐色の壌質土壌となっているが、比高の高い箇所ではこの層は現れていない。スギの生育は、病害木を除けば、良好である。この土壌統は隣接畑地における三箇統に近似し、灰色低地土壌に含めた。
清水統(s)加須、中川両低地の利根川沿いの自然堤防に分布する。土性は壌質であり、腐植は5%以下である。下層粘質の場合もある。全層にわたり酸化沈積物が認められ、次層以下の構造は弱塊状または無構造である。畑または宅地として利用されるが、本地域では陸田となっている所もかなりある。生産力は比較的高い。
三箇統(Sa)今泉台地、利根川台地群にかなり広い面積を占めている。表土は灰褐~黄褐の粘質な沖積性の土壌であるが、多少とも火山灰の混入を受け暗褐色を呈することもある。50cm以内から下層に、黒褐~褐色の火山灰性の壌質土壌が出現する。畑、宅地、陸田などに利用されている。土壌分類上、灰色低地土下層黒ボク土壌に該当するため、既述の内野統、および長野統とともに、本図幅では台地上に存在する土壌ではあるが、ここに記述した。
長野統(Ng)今泉台地上及びその谷地田及び利根川台地群に分布する。三箇統に類似し、隣接した水田に分布することが多い。表土は粘質で、次層で強粘土壌となる場合もある。土色は灰色で三箇統とは区別される。下層は一般に壌質の褐~黄褐の火山灰土壌となる。三箇統が長期の水田利用により、この土壌統に移行したものと考えられる。
仁手統(Ni)渡良瀬川低地の後背湿地で広く、また加須、中川低地の後背湿地、旧流路跡などに、かなりの面積分布している。全層壌質~粘質の場合が多いが、下層で強粘質となる所がある。土色は灰~黄灰であり、全層に酸化沈積物がある。裏作可能な乾田であり、生産力は比較的高い。
種足統(Td)渡良瀬川低地の自然堤防に広く分布する。層序的には清水統とほとんど同じであるが、色調が黄色系である点で区分された。畑、陸田、宅地として利用されている。
2-2-4粗粒緋色低地土壌
向河統(Mk)渡良瀬川低地の自然堤防に小面積づつ、散在する。全層砂質土壌であるが、灰味を帯びて、酸化沈積物が認められる。主に畑となっている。
川俣統(kwa)図幅左端の加須低地の自然堤防で出現する。表層は壌質であるが、下層は50cm前後で、砂層となる。表層の腐食を欠き、酸化沈積物は比較的多い。畑として利用されている。
2-2-5細粒グライ土壌
山田統(Ya)各低地の後背湿地、湿地に分布する。全層強粘質土壌で、腐植を欠く、土色は黄灰系であるが、やや暗い。50cm以下でグライ化しているが、弱度である。水田利用されているが、裏作可能で、生産力は比較的高い。
2-2-6グライ土壌
片柳統渡良瀬低地、加須低地の後背湿地、旧流路跡に、かなりの面積分布する。土色は黄灰系で、腐植を欠く。表土は壌質~粘質であるが、下層が強粘質となる場合もある。50cm以下でグライ化しているが、強グライではない。水田として利用され、裏作は可能である。
菅島統(sz)渡良瀬川低地の旧流路跡、加須低地の後背湿地に、各小面積分布する。壌質~粘質の土壌からなり、50cm以内からグライ層となる強グライ土壌である。片柳統のグライ層の出現位置が高くなった土壌であるとみられる。湿田で生産力は劣る。
上笹塚統(Ksz)渡良瀬川低地の旧流路跡に、小部分存在する土壌である。表土は壌質~粘質の土壌からなるが、30cm前後から砂質土となる。50cm以下でグライ化している。湿田である。
沼田統(Nu)渡良瀬川低地の利根川沿いの、旧流路跡、後背湿地に分布する。表土は砂質であるが、次層は壌質~粘質な土壌となる。50cm以内に青緑色のグライ層の存在する、強グライ土壌である。水田であるが、生産力は低い。
2-2-7低位泥炭土壌
鯨井統(Ku)加須低地の湿地に分布する。表土は強粘質土壌であり、次層以下も強粘質土壌である場合が多いが、時に壌質な土壌となることもある。50cm以下から泥炭層が出現し、グライ化している。裏作は可能である。
多門寺統(Tm)加須低地の湿地に小面積分布する。表土は壌質が主体である。次層は強粘質土壌となる場合がある。50cm以下から泥炭層となり、グライ化している。鯨井統と類似しているが、土性の差により区分された。水田として、裏作可能地である。
2-2-8黒泥土壌
小八林(kyb)加須低地の湿地に分布する。全層概ね、壌質~粘質であるが、下層では強粘質土壌となる場合がある。50cm以下から黒泥層が出現する。半湿水田で、裏作は可能である。
大串統(Ogs)加須低地の湿地に分布する。全層強粘質土壌からなり、50cm以下で黒泥層が出現する。小八林統とは土性の差異により区別される。湿田であり、生産力は高くない。
2-3砂丘地の土壌
2-3-1粗粒褐色低地土壌
志多見統(Sda)新郷砂丘地に分布する土壌である。全層、腐植を欠く、黄褐色の砂土からなり、下層まで、層位の区分は明瞭でない。一般に酸化沈積物は認められない。耕地としては旱害を蒙りやすく、生産力は低い。
(埼玉県農業試験場秋本俊夫、埼玉県林業試験場野村静男)
本図幅の傾斜区分は3゜以下の地域が広域を占め、傾斜の頻度分布は面積的にみれば99.9%である。このため、本図幅の斜面傾斜状態は全体として、非常に平坦な面になっている。3゜~8゜および8゜~15゜の傾斜面は会の川(古利根川の主要な流路)沿いの河畔砂丘および自然堤防に若干みられるが、局地的であり、広くまとまった地域をなしていない。砂丘の崖は羽生市桑先にあって、26.4mの頂部に8゜~15゜の傾斜地がある穂かは3゜~8゜の地域が大半を占める。自然堤防のうち、3゜~8゜の傾斜地は羽生市上岩瀬にみられる。このほかは、自然堤防の傾斜面はいずれも3゜未満に属している。
(埼玉大学松丸国照)
本地域は低地において水系が顕著である。これは主要河川の利根川・谷田川・渡良瀬川に沿う伏流などの平行河川が著しいため、および、用水路の影響によるためである。
作業規程により算出した値から、谷密度は0~22の範囲であり、水田耕地では9~22となる。台地では3~4の範囲である。
地形分類図と水系との関係は密度であり、ほぼ東西に流向する利根川とそれにほぼ直交する谷田川および渡良瀬川の河川が低地と自然堤防地帯とを限定している。
(埼玉大学松丸国照)
〔河川〕
本区域は、全域が関東平野に属し、本県の北東部に位置しています。
降水量は、年間1,300mm程度であり、県内で平均より、やや少なめとなっております。羽生市の市街地を除くと、一面が水田地帯になっております。これら水田への灌漑は、利根川を水源とする埼玉用水(最大使用量36.87立方メートル/s)で取水、送水し、羽生領用水、葛西用水、古利根用水等に分派している一連の用水網で行われております。これらのうち、葛西用水は、途中大落古利根川、逆川を経て、越谷市で東京葛西用水と八条用水に分水し、東京都までも灌漑する全延長約50kmに及ぶ大用水であります。
なお、飲料水は全て地下水の汲み上げによるもので、河川表流水は使われていない。
〔農業水利〕
利根川沿いの沖積地で、農業用水はかって各系統毎に利根川から取水していたが、水資源開発公団による利根大堰、合口連絡水路の完成で昭和43年からは安定した取水がなされている。
しかし低湿水田地帯がそのほとんどを占めるため、排水不良地域が随所に見られる。これは基幹排水施設はほぼできているものの、末端のほ場整備が未了で、用排兼用水路として用水の反復利用の機能を果たしているものが多く、それが排水に支障をきたし、汎用耕地化を妨げている。今後は、排水改良事業をさらに進めると共に、ほ場条件を整備して土地生産性の向上を図るべき地域である。
本区域は、北側を一級河川利根川の堤防で守られており、南側は中川水系の河川の起点となる地域であり、地質的には、全域が第4紀沖積層の平地となっております。
昭和22年9月のカスリーン台風では、利根川が渡良瀬川合流点から約2.2km上流の右岸本堤防が決壊するに至りました。
現在、利根川は、計画高水流量14000立方メートル/sで施工中であり、過去最高出水程度の洪水は、安全に流下できるよう工事を進めております。
利根川以北の北川辺町を除くと、全域が一級河川中川の流域に属します。
中川は、その河川流域がほとんど低平地となっており、河川流過能力が日雨量120mm、排水量0.35立方メートル/s/平方キロメートルで作られております。しかし、年々進む宅地開発等により、低平地の盛り土がなされ、従来保持していた保水能力が減少し、降雨があれば中川の本支川がほとんど満流となり、河川流路筋の低地や沼跡地等の低地不水田地帯は、内水排水が悪く、常習的な湛水区域となっているところがあります。
冠水区域図は、想定浸水区域図をもとにして作成したものです。浸水区域の分類は、地形、標高及び既往の降雨継続時間から考えて、1.5日間雨量を対象とし、大河川破堤及び局地的な高位置については配慮しておりません。本図葉から、1.5日間降雨量100ミリメートルから150ミリメートルで冠水するおそれがある地域は、北川辺町中央部と中川及び流路筋の低地部ということです。
水利防災図関係調査表
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