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掲載日:2023年3月30日
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荻野吟子は江戸時代末期の嘉永4年(1851年)、現熊谷市俵瀬に生まれました。18歳で結婚しましたが、不慮の病に罹り2年ほどで離婚しました。この時、婦人科の治療を受けたことから、女性医師の必要性を痛感し、医師となることを決意しました。
しかし、当時、女性には医術開業試験の受験が認められておらず、制度改正に奔走しました。その際、「令義解(りょうのぎげ)」という古文書に女医の記述があることを訴えたと言われています。この「令義解」を校訂し、後世に引き継いだのが埼玉の偉人「塙保己一(はなわほきいち)」でした。
こうして吟子は様々な困難を克服し、明治18年(1885年)、医術開業試験に合格、日本で最初の公認女性医師となりました。
開業後は、診療活動に加え、婦人解放運動等の社会的活動も担い、女性の地位向上や衛生知識の普及にも大きく貢献しました。大正2年(1913年)、62歳で永眠し、栄光と波乱に満ちた生涯を閉じました。
埼玉県では、荻野吟子にちなみ、その不屈の精神を今に伝える先駆的な活動を通じて、男女共同参画の推進に顕著な功績のあった個人や団体、事業所に「埼玉県荻野吟子賞」を贈っています。「埼玉県荻野吟子賞」について
荻野吟子の功績とその不屈の精神を、多くの方に知っていただくため、マンガPR動画を制作しました。
動画は、熊谷女子高校漫画愛好会が描いたマンガを動画化し、熊谷高校生に声の出演をいただきました。熊谷女子高生・熊谷高生インタビューや吟子の生涯の解説も収録しています。是非、御覧ください。
埼玉県公式チャンネル(YouTube)↓こちらから御覧ください。
URL:https://youtu.be/nTZrsSvnmBc(別ウィンドウで開きます)
※ 県では、困難を乗り越え、日本で最初の女性公認医師となった荻野吟子の顕彰に取り組んでいます。
荻野吟子の功績とその不屈の精神を若い世代をはじめ多くの方に知っていただくため、県立熊谷女子高等学校漫画愛好会の皆様にご協力いただき、マンガPR冊子を作成しましたのでご覧ください。
「女医のパイオニアは埼玉出身!荻野吟子」(PDF:5,265KB)
※ 冊子として印刷する場合にはページサイズ処理を「小冊子」とし、両面印刷、右綴じに設定して印刷してください。また、冊子の無断転載、商用利用、有料配布、加工利用を禁止します。
なお、当PR冊子は県男女共同参画推進センター(With You さいたま)、県政情報センター(衛生会館1階、要予約:048-830-2543)、各地域振興センター、各県立図書館で閲覧できます。
当マンガPR冊子の制作に際し、多大な御協力をいただいた県立熊谷女子高等学校漫画愛好会へ知事から感謝状を贈呈しました。
西暦 | 和暦 | 主なできごと |
1851年 | 嘉永4年 | 俵瀬村(現熊谷市)で誕生 |
1868年 | 慶応4年 | 稲村貫一郎と結婚 |
1870年 | 明治3年 | 病気で協議離婚。入院、女医を志す |
1875年 | 明治8年 | 東京女子師範学校(現お茶の水女子大学)入学 |
1879年 | 明治12年 | 私立医学校好寿院入学 |
1882年 | 明治15年 | 好寿院を卒業。医術開業試験願書却下続く |
1884年 | 明治17年 | 医術開業試験受験許可 |
1885年 | 明治18年 | 試験合格、医院開業 |
1886年 | 明治19年 | 本郷教会にて洗礼を受ける、東京婦人矯風会入会 |
1887年 | 明治20年 | 大日本婦人衛生会設立 |
1890年 | 明治23年 | 議会婦人傍聴禁止撤回運動に参画 志方之善と再婚 |
1894年 | 明治27年 | 渡道、夫とともにキリスト教による理想郷を目指す |
1905年 | 明治38年 | 夫の死去 |
1908年 | 明治41年 | 東京へ戻り、医院を開業 |
1913年 | 大正2年 | 死去 |
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