トップページ > 【スポーツで埼玉を元気にする!】トライアスロン 椿浩平選手 ②
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2022年1月7日(金曜日)
椿浩平選手は、埼玉県入間市出身であり、ジュニア時代から活躍し、日本U19選手権4連覇、日本U23選手権で3回優勝、2015年に日本選手権で3位入賞を果たしました。
2019年からは同じチームに所属しているパラトライアスロン米岡聡選手のガイドとしても活躍し、東京2020パラリンピックのトライアスロン(視覚障害)で銅メダルを獲得しました。現在は、パリオリンピックのトライアスロン出場を目指し、競技に励んでいます。
なお、椿選手へのインタビューは、先日インタビューした高宮選手の紹介により実現しました。
椿選手のインタビュー記事を3部構成でお届けします。ぜひ御覧ください。
ですから本大会が1年延期となってしまったとき、このままガイドを続けるか迷いました。パリオリンピックまでの活動期間が短くなってしまうからです。それでも米岡選手と一緒に運動して作り上げていく中で多くの喜びがありました。メダル獲得を目標にガイドを続けることにしました。
練習メニューは米岡選手とまったく違います。それぞれがスイム、バイク、ランの中で何をどう頑張るのか役割を明確にし、その役割を全うできるように強化していく練習をしていました。
自分だけでレースに出場するときは、ライバルになりそうな選手の顔色をみたり、揺さぶりをかけたりして駆け引きをします。ガイドのときは、海外選手のデータを見ながら作戦を立て、さらに米岡選手の息遣いや様子から状態を把握し、頑張り過ぎていないか、まだ余裕があるか把握するので、やはり自分だけの時と少し違います。
東京パラリンピックのときはお互いに心身ともにすごくいい状態で迎えられました。メダルに届いたときは本当にうれしかったです。表彰台の上から景色を見られたときは喜びでいっぱいでした。
家族はテレビで観戦していたのですが、自宅に帰ったら5歳の息子がオリンピック選手になりたいと言い出しました。何がオリンピック選手かもわかってないとは思うのですが(笑)。これまで息子にはスポーツ選手を目指してほしいと思ったことはなかったのですが、自分がやってきたことは間違っていなかったと思えました。最初にメダルを触らせたとき、床に落として引きずっていたので、今は手の届かないところに飾っています(笑)。
東京オリンピックまで1年延びてしまいましたが、いい準備期間になりました。また、コロナ禍でも幸い練習は継続できていました。緊急事態宣言が出る前に沖縄で合宿を行っていたので、そのまま残って合宿に励むことができたからです。 他の選手が練習できないという話を聞いている中で、恵まれた環境にいたので、選手同士で「頑張れないなんて言えないよね」と話しながらモチベーションを保ち続けることができました。3か月近く家族に会えなかったのは辛かったですが、競技力を向上させることができたのはありがたかったです。
レースも以前は4週間連続で参加したこともありましたが、数ヶ月に1回しかなかったので、連戦が続くよりは練習しながら調整をしやすかったのでよかったです。
どんなことがよいパフォーマンスを引き出すのか、テストを重ねました。スイムからバイク、バイクからランの切り替えのときに米岡選手の体を冷やすためにクラッシュアイスや水をかけていたのもその一つです。
他にも長期間かけて、暑さに対して準備をしました。夏なのに暖房をつけて、室温36度、湿度80%の中で自転車をこいだりしてきました。
これまで自分自身の試合でも、ある程度考えて臨んでいましたが、今までを10とすると120、130くらい戦略を練りました。
一緒に作り上げていく中で、自分たちが練ってきた戦略とか計画が本当にぴたっとはまってゴールしたときは、実を結んだ瞬間でした。
戦略を練ることの大切さを学びましたし、自分のレースにも活かせるものがありました。
→ 3 メンタルコントロールについて に続きます。