トップページ > 【スポーツで埼玉を元気にする!】トライアスロン 椿浩平選手 ①
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2022年1月7日(金曜日)
椿浩平選手は、埼玉県入間市出身であり、ジュニア時代から活躍し、日本U19選手権4連覇、日本U23選手権で3回優勝、2015年に日本選手権で3位入賞を果たしました。
2019年からは同じチームに所属しているパラトライアスロン米岡聡選手のガイドとしても活躍し、東京2020パラリンピックのトライアスロン(視覚障害)で銅メダルを獲得しました。現在は、パリオリンピックのトライアスロン出場を目指し、競技に励んでいます。
なお、椿選手へのインタビューは、先日インタビューした高宮選手の紹介により実現しました。
椿選手のインタビュー記事を3部構成でお届けします。ぜひ御覧ください。
トライアスロンは、スイム(水泳)・バイク(自転車ロードレース)・ラン(長距離走)の3種目を、1人のアスリートが連続して行う耐久競技です。ラテン語の3を表すトライと、競技を意味するアスロンを組み合わせて名付けられました。
オリンピックでは、スイム1.5km、バイク40km、ラン10kmの、合計51.5kmで着順を争います。この設定距離は、オリンピック・ディスタンス、またはスタンダード・ディスタンスと呼ばれています。男子のメダリストは1時間45分ほど、女子のトップは2時間を切るスピードで駆け抜けていきます。
トライアスロンは、1974年に初めてアメリカで競技大会が開催された比較的新しいスポーツです。2000年シドニー大会からオリンピックの正式競技となり、男女とも実施されています。東京2020大会では、新種目として男女による混合リレーが行われました。
パラリンピックでは、2016年リオ大会から新たに正式競技となりました。オリンピックで実施されているスタンダード・ディスタンスの半分となる、スプリント・ディスタンス(スイム0.75キロ・バイク20キロ・ラン5キロ)の合計タイムで競い合います。障がいの種類やレベルによりクラス分けされています。
椿選手は、視覚障害クラス(PTVI)のガイドで出場しました。
※トライアスロンに関する詳細は公式ホームページをご覧ください。
https://www.jtu.or.jp/(別ウィンドウで開きます)
トライアスロンは、中学生になってから始めました。もともと小さい頃から水泳の選手を目指し、選手コースで練習に励んでいました。中学校で入部した陸上部も、水泳の体力づくりのためでした。しかし、思いのほか陸上でのタイムが伸び、近所の学校で行われたトライアスロンの大会に参加してみたところ、トライアスロンの楽しさに魅了されました。
水泳も陸上もそこそこ成績が出るものの、全国大会に出場するまでに至らなかったのですが、泳ぎも走りも自転車も平均的に高いレベルでやっていけることが自分の武器になるということに気がつき、トライアスロンで頑張っていこうと思うようになりました。
まだマイナーな競技だったので、近くに練習環境が整っておらず、中学生の間は長期休みの時のみクラブチームの練習に参加し、普段は陸上部やスイミングスクールで練習を続けていました。高校生になってからは、土日はクラブチームで泊まり込みの練習をし、平日は学校に通いながら一人で練習メニューをこなしていました。
練習メニューはきつかったので、半べそをかきながら練習していました。高校生になってから日本代表に入っていたのですが、どうしても勝てない外国のライバル選手がいたので、その選手に勝ちたいと思う強い気持ちできつい練習も頑張れたのではないかと思います。当時は、それが原動力にもなっていましたが、人と比べることで自分が強いか弱いかを見て評価していたので、結果ばかりを求めていました。
現役の間にオリンピックに出場できなければ、これまでやってきたことは無に帰すと考えて、結果を出すことにずっとこだわってやってきましたが、2016年8月に脳に腫瘍(しゅよう)が見つかりました。手術は成功しましたが、悪性の髄芽腫(ずいがしゅ)と判明し、治療に1年を費やしました。
病気になっても、オリンピック出場にかける強い思いがありましたし、ここで競技をやめてしまうと、自分でも一生「逃げた」となりそうで、それが怖くてやめられないという気持ちもありました。
病気になってから、日本代表からも外れ、過去の自分よりも遥かに弱い自分と向き合わなければいけない中で、結果ばかりを求めていてはやっていけない時がありました。チームの監督にも、何のためにお前はやっているのか、と問いかけられたことがあり、その時にようやく本当に考えて、自分はトライアスロンが心底好きなんだなっていうことに気づけました。
それからは、実業団選手として結果を求めることはもちろんあるのですが、「自分が好きだからやっている」というのが大前提で競技と向き合うようになりました。
トライアスロンを始めた頃は、兄二人にも水泳で勝てないし、水泳でも陸上でも自分より速い選手がたくさんいて劣等感を持っていたので、全国大会にすら出場できない自分がオリンピックを目指すなんて、という気持ちがありました。
しかし、中学生の時に所属していたチームのコーチに「世界一を目指すこととか、オリンピックを目指すことに権利はないし、資格が必要とか目指しちゃいけない法律なんかないでしょ」という話をされて、それが自分の中ですごく大きな一言になりました。
それからは、自分の中で「世界一になるということは、オリンピック選手にならなきゃいけない、オリンピックに出なきゃいけない」と目標が固まりだしたので、オリンピックには絶対に行くという気持ちを持つようになりました。
15歳の時に出場した15歳から19歳の選手が出場するU19ジュニアの日本選手権です。15歳と19歳では体の大きさも違いますし、まず勝てないのですが、信じられないぐらい集中できていて感覚が鋭くなっていたので、まわりの選手の様子も見えて優勝することができました。今振り返っても会心のレースで、それ以来同じような力を出せたことはないです。あの時の感覚を今も求めている感じです。
→ 2 東京パラリンピックについて に続きます。