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掲載日:2024年6月18日
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ヘレン・ケラー(Ms.Helen Adams Keller,1880~1968)は、目も見えず、耳も聞こえず、そのため話すことが困難という重度の障害を負いながらも、その全生涯を教育と福祉、そして世界平和に尽力したことで世界的に知られています。
そんな彼女にとって、塙保己一が障害を克服し、希望をもって生きる、努力することの意義を与え続けてきた、特別な存在であったことはご存じでしょうか。
彼女は、昭和12年(1937年)に初来日した際、渋谷の温故学会を訪れ、母親から『日本の塙保己一先生はあなたの人生の目標となる方ですよ。』と教えられたことに触れ、こう話しています。
『今日、こうして温故学会を訪問して先生の像に触れることができましたのは、日本の訪問の中で最も意義深いものでした。
使い古された質素な机と、優しそうに首をかしげた先生の像に触っていると、先生のお人柄が伝わってきて、心から尊敬の気持ちがいっそう強くなりました。
先生のお名前は、水が流れるように、永遠に後世に伝えられていくに違いありません。』
また、埼玉会館で開かれた講演会では、「私は特別の思いをもって、埼玉にやって参りました。それはつらく苦しい時でも、この埼玉ゆかりのハナワ・ホキイチ先生を目標に頑張ることができ、”今の私”があるからです」と話しています。
どんな困難な状況の中でも輝いて生きたヘレン・ケラーが、幼くして失明したにもかかわらず努力して偉大な学者になった塙保己一を心の支えに、勇気と希望をもって生きた証と言えるでしょう。
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