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発表日:2022年10月15日15時
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部局名:福祉部
課所名:社会福祉課
担当名:援護恩給担当
担当者名:長谷川、武川
内線電話番号:3277
直通電話番号:048-830-3277
Email:a3270-19@pref.saitama.lg.jp
先の大戦において戦没された本県関係の方々を追悼し、併せて恒久平和を祈念するため、下記のとおり戦没者追悼式を実施しました。
令和4年10月15日(土曜日)午前10時30分~午前11時30分
埼玉会館大ホール
181名
19名
県議会議長、県議会副議長
県議会議員、各団体の長
200名
戦後77年が経ち、我が国は戦争がもたらした多くの苦しみと悲しみを乗り越えて、平和と繁栄を実現してきた。私たちの郷土埼玉も、豊かな自然と都市の賑わいを併せ持つ魅力あふれる県として、力強い発展を続けている。
しかしながら、世界に目を向けると、ロシアによるウクライナ侵攻など、何の罪もない市民が犠牲となり、美しい街並みや自然が破壊され、平穏な日常が奪われる事態が起こっている。
今日の平和と繁栄は、先の大戦で亡くなられた方々の尊い犠牲と御遺族の深い悲しみの上に築かれたものであることを改めて思い起こす必要がある。平和とは、多くの苦労と不断の努力の結晶であり、注意深く守り育てていかなくてはならないものだ。
私たちには、戦争の悲惨さと平和の尊さを、次の世代に引き継いでいく責任がある。
私は、本日の追悼式に臨み、我々に平和を託して散っていった戦没者の方々に思いを致し、今ある社会を盤石のものとし、誰もが健やかに、そして平和で心豊かに暮らしていける社会の創造に尽力していくことを改めて決意した。
今日の我が国の平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊い犠牲と、御遺族の皆様のたゆまぬ努力の上に築かれたものであることを、我々は決して忘れてはならない。
終戦から77年が過ぎ去った今、悲惨な戦争から学んだ教訓を風化させることなく、平和の尊さを後世に伝え、永久に守っていくことが、私たちに課せられた重大な責務である。
ウクライナ侵攻や北朝鮮の度重なる弾道ミサイルの発射は、国際社会の平和と秩序を脅かす暴挙であり、県議会では、これらの行為に対し強く抗議するとともに、軍の即時撤収や、核兵器及び弾道ミサイル等の開発の即刻放棄等を強く求める内容を決議した。
こうした憂慮すべき世界情勢にある中で改めて、戦没者の皆様の祖国発展への思いを深く心に刻み、安心して暮らすことができる、平和で豊かな郷土 埼玉を築いていくために、県議会として全力を尽くすことを、御霊の前にお誓いする。
我が国は現在、戦前には想像もできなかった繁栄と平和を謳歌している。
しかしながら、今日においても、ロシア軍によるウクライナ侵攻や朝鮮民主主義人民共和国による弾道ミサイル発射、さらには先日国内で発生した傷ましいテロ行為など、人々の命や平和を脅かす行為が繰り返し行われている現状を目の当たりにし、強い憤りと悲しみを禁じ得ない。
戦後77年が経過し、先の大戦を肌で感じたことのない世代が国民の大半を占めるようになった。
私どもは、戦争の惨禍が再び無からんことを心に期し、平和を祈り、未来に向かって、力強く前進することを御霊にお誓いする。
ロシアによるウクライナ侵攻は、いまだに収まっていない。かつては、日本でもあのような戦いがあったが、ウクライナの方々が、我々と同じ経験をすることに、いたたまれない気持ちでいっぱいとなる。そして、一日も早く平和な暮らしが戻るよう、願わずにはいられない。
私の父は、中国の衝陽の第128兵站病院で戦病死した。それは終戦の半月前であった。それを知った母の心境は、どんなだったであろうか。その時、母の背中に背負われていたのが、0歳の私だった。
平成21年に、父が永眠する戦地を慰霊する機会を得た。父は何を考え戦っていたのであろうか。妻、子供たち、親を思い浮かべ、家族の待つ故郷へ帰れる日をどれほど想っていただろうかと、父の気持ちになるとともに、母子家庭で育ったせいか、母への想いがこみ上げ、声にならなかった。
今日の平和な暮らしができるのは、先の大戦で尊い犠牲となられた御英霊の方々のおかげであることを、決して忘れてはならない。
私たち遺族は、御英霊が願われた祖国の繁栄と世界平和、そして心豊かに暮らせる社会の実現のために、戦争の悲惨さや平和の尊さを後世に語り続け、継承していくことをお誓い申し上げる。
令和4年度埼玉県戦没者追悼式の実施結果について(PDF:176KB)