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掲載日:2021年8月31日
社会福祉法人みぬま福祉会工房集管理者
埼玉県障害者芸術文化活動支援センター「アートセンター集」センター長。また県内福祉施設職員等と埼玉県障害者アートネットワークTAMAP±0(タマッププラマイゼロ)を構築し、県内の多彩な表現の魅力を発掘・発信を行っている。
埼玉県障害者アートフェスティバル実行委員会発足時(2009年)より、当該実行委員会の委員。
近年、障害のある人々の芸術・文化活動を推進していく気運が高まっています。平成30年には「障害者による文化芸術活動の推進に関する法律」という法律もできました。平成28年から、みぬま福祉会は国と埼玉県から助成を受け、埼玉県障害者芸術文化活動支援センター「アートセンター集」を開設したことで、さまざまな相談が寄せられます。「施設で表現活動をしようと思っているのですが、どのように導入したらいいのですか?」「絵を描きたがらないのですがどうしたらいいですか?」「施設では表現活動をする時間が取れないのですが…。」「絵を描く利用者さんがいるが、どうしたらいいですか?」など。この気運に伴い、何かしなければ、でも何をしたらいいか、どこから手をつけたらいいのか、悩んでいる職員さんや施設がたくさんありますが、アートありき、表現活動ありきになっているようにも感じます。何のための、誰のための表現活動なのか? 表現者本人にとっての表現の意味を考えるとおのずと答えが出てくるように思います。
今でこそ「アートに特化した福祉施設」と言われるようになってきている工房集ですが、そもそもは障害の重い人たちの労働の在り方を模索し続けたその果てに、始まりました。「表現活動」は障害のある人たちにとって大切な仕事であり、自分を知ってほしいという切実な想いであり、生きるために必要なことなのです。決して美術が得意な人たちを集めたわけではなく、むしろその逆で、「こんなこと出来ると思わなかった」人たちが、「何もできない」と言われてきた人たちが今までにない作品を生み出し、本人が幸せになっているだけでなく、周りの人の意識や既存の価値観まで変えていく。彼らが作る作品にはそんな力があります。
「工房集」は福祉の現場にギャラリー、アトリエ、ショップ、カフェの4つの機能を持ち、アートプロジェクトを社会につなげるための活動拠点として、「そこを利用する人たちだけの施設ではなく、新しい社会・歴史的価値観を創るためにいろんな人が集まっていこう、そんな外に開かれた場所にしていこう」という想いを込めて集(しゅう)と名付け、2002年に開所しました。工房集には「表現活動を支えたり広めたりすることを通して障害のある人たちと共に、社会をより良いものに変えていこうとするもの」という役割があります。さらに、アトリエを公開したり、一人ひとりの作品集を作ったり、展覧会やグッズ展、ワークショップなどを開催したりと、普段から表現活動を社会につなげるさまざまな取り組みをしています。
現在は、法人全体で11のアトリエを中心に150名がさまざまな表現を生み出しています。その表現方法は絵画、織り、ステンドグラス、木工、写真、書、詩、漫画、紙粘土…。またそういうジャンルに当てはまらない糸を使った作品やビニールテープを使った作品、銅線を使った作品、ホットボンドを使った作品…、これっていったい何!?という作品まで多種多様です。年間30回ほど出展依頼があり、国内にとどまらず、海外でも作品が売れたり高く評価される作家もいて、個々の作品がアートの世界から注目され始めています。また企業との協働で商品化されるなど活動が多岐にわたっています。
みぬま福祉会工房集 ギャラリー
現在このようになったのも、30年前に横山明子さんが入所してきたことが始まりでした。
みぬま福祉会は、1984年に「どんな障害がある人でも受け入れる」ということを理念にして発足しました。どんな局面でも「困難や例外的な状況にある人を切り捨てない」ことを大切にしています。また設立当初から、一人ひとりが当たり前に生きていくために、どんなに重い障害があっても「働くことは権利」であるとして、活動の軸に取り入れました。みぬま福祉会では働くことの定義を「お金を稼ぐこと」「社会とつながること」「生き生きとした人間の発達につながること」の3つとしています。
設立当初はその人が関われる仕事を探し、行っていたのは主にウエス作りや缶プレスなどの軽作業でしたが、横山さんはその仕事を拒否したのです。当時私を含め、職員たちは何とか横山さんに仕事をしてもらおうと、あの手この手で取り組み、関わり、働きかけたのですが、なんでもかんでも拒否され、もうお手上げでした。仕事を拒否するだけでなく、どんどん距離も離れていき、声をかけるだけで嫌がられていることに危機感を感じました。「こんなことをしてももうダメだな…」と、もう仕事をさせようと考えず仲良くなろうと決め、ただ隣に座り、一緒に散歩にも行きました。そうするとお花の名前をよく知っていたり、歌を歌ってくれるようになったり、少しずつ好きなものがあることが分かってきました。ある時小さな紙にラクガキをしている姿を見て、お祭りのポスターに絵を描いてとお願いすると、拒否はせず、すんなりと描いてくれたことをきっかけに「もうこれを仕事にするしかない」という小さな発想が生まれたのです。
「コスモス」,横山明子,みぬま福祉会工房集
仕事に彼らを合わせるのではなく、一人ひとりに合わせた仕事を見つけようと。障害や能力に焦点を当ててできる仕事を探すやり方は、枠に当てはめてしまうことになります。従来ある仕事の中で教え込んでできるようにするのではなく、頑張ることの強要ではなく、生きる力を育てるために必要なことは何か。本人の好きなこと、興味のあること、得意とすること、自分らしさ、独自性(表現)が活きる仕事を見つけよう。表現活動の持つ特性上、こういったモノをつくらなければならないといった完成形がありません。量や時間の縛りもなく、みんなに合わせてもらう必要がありません。そのため私たち職員は指導する、指示する、注意するといった直接的な関わりではなく、環境設定、雰囲気作りといった間接的な関わりを大切に、その人の持つ独自性(表現)を引き出す関わり(声かけ、タイミング、距離感)に徹しました。一人ひとりを大切にすることは作品を大切にすることにつながり、作品を活かすことがつまりはその人を活かすことにつながります。社会につなげることは職員の役割であり責任であるため、職員側は自己満足、自己完結せずに、専門的な知識を持つ第三者の方々(他分野他業種の方々)とつながり、力を借りることで、その魅力や可能性を最大限活かすようにしてきました。生み出された作品においては専門的な視点で「作品そのものを大切にする」ことに重点をおき、日々の活動で生み出された作品を、“カッコよく”社会につなげることを大切にしてきました。
障害の重い人たちが作品を生みだす、これは自然発生的に生まれるものではありません。“好きな”こと や“得意な”ことに視点を当てて、まして仕事にしようとするのはなかなか難しいことです。みぬま福祉会には、思いを言葉にできない障害の重い人がたくさんいて、また思いや願いすら形にならない障害の重い人が多いのです。一人ひとりの願いや思いに寄り添い、小さな変化や発見を見逃さず、共感的なまなざしを持ってその人の気持ちを汲み取ること、気付くことが職員の役割であり、「枠にはめる」「方法に合わせる」「教え込む」のではなく、職員集団で話し合い工夫を積み重ねながら、一人ひとりにとって、大切な方法を考えるようにしてきました。
横山さんと出会ったお陰で、多くのことを学び、考えさせられ、たくさんの方々とつながり、可能性を切り開いてきました。横山さんの作品が初めて銀座で展示されたときに「この子を産んで初めて褒められた」とお母さまが泣いたことが忘れられず、今でも障害者アート活動の原動力になっています。
芸術・文化活動は、新たな価値を社会に生み出すとともに、多様性を尊重し他者との相互理解を進める力を持っています。平成21年より埼玉県は全国でも先駆けて、‘芸術’とは違うものとされ、正当な評価を受ける機会が少なかった彼等の作品を「障害を乗り越えて努力した」という面にではなく、「作品そのものの芸術性・創造性という面」にスポットライトをあて、正当な評価を受ける環境を整えることで、社会に新しい芸術観、価値観を創出できるのではないかと、障害者の自立や社会参加の促進、多様性を認め合う社会の実現などを図るための手段としての「障害者アート」を振興してきました。この度、オンライン美術館ができたことで、障害者アートの魅力と可能性を、より多くの方々に知っていただく機会になることを期待しています。このことを通して、もっと多くの障害のある人たちや家族の方々が幸せになってもらいたいですし、その先により良い地域・社会があると信じています。